2018年の上半期、世界を旅しながら海外で生活をしていた佐田真人さん。
佐田さんは大学生の頃から東南アジアでバックパッカーをしたり中国に留学したりと、積極的に海外へ足を運んできました。
今年の7月。半年ぶりに帰国した佐田さんに「お話を伺いたい!」と思ったのは、ご自身のブログに綴られていた帰国理由がとても気になったから。
「今回もうひとつ『日本に帰りたい!』ってなったのは、シンプルにものすごく働きたくなったんです。
インドのIT都市バンガロールの若者たちに刺激を受け、ただ旅をするだけじゃなくて、ちゃんと仕事に変えていかんと、という気持ちが強くなったんですよ。」
佐田さんは、「バンガロールの若者たち」のどんな様子に刺激をもらったのでしょう。
旅のお話と一緒に、これから挑戦したいことやお金に対する考え方を伺いました。
佐田真人さんインタビュー
インタビュー日:2018年7月16日(月)
インドには「ノリをつくる文化」がある
── 佐田さんは現在、どんなお仕事をされているのですか?
佐田真人(以下、佐田):
僕はフリーランスなんですけど、仕事は大きく3つの軸があって、ライターとカメラマンとディレクターです。
ディレクターというのは、前職はウェブマーケティングの会社で働いていたので、これまでやってきたことを活かしながら、企業のオウンドメディアのディレクションなどをしています。
それと個人的にブログ「TOKIORI」も運営していて。毎日更新しているわけではないのですが、これまでのお仕事はブログ経由でいただいているものもあります。
なので今後はもっと、ブログ運営にも力を入れていきたいなと思っています。
── 佐田さんが今回日本に帰国した理由のひとつに「もっと働きたい」というのがあったと思うのですけど。
佐田:
インドのIT都市・バンガロールの若者たちを見てそう思いました。
もともと僕は、旅に出るときには何かしらテーマを設定しているんです。
今回のインドの旅は、「同世代の若者が、海外ではどういう価値観で仕事をしているのか」が知りたくなりました。
── 「仕事」をテーマに設定したのはどうしてですか?
佐田:
僕自身が考えなければいけないテーマだったからです。
旅に出る前、前の会社を退職してフリーランスになりました。それは、「長期の旅に出たかったから」というのが大前提にあったんですけど、ちょうど自分自身の働き方にも悩んでいたんです。
「今後どういうふうに仕事をしていくか」は、僕にとって当事者性があるテーマだったので、今回自分とおなじくらい若い人たちの仕事の様子を観察しようと。
── バンガロールの若者たちのどんな様子から刺激を受けたのでしょう。
佐田:
そもそもバンガロールって世界の中でもIT都市として注目されていて、若い起業家が多いんですよ。
20代くらいの若者たちが休日にカフェでMacを開いて、仕事の話をしているんです。それもひとりで黙々とっていうよりかは、近くの人に積極的に「どう思う?」ってヒアリングしながら。
僕もバンガロールにいるときは、カフェで仕事をしていたんですけど、「リュックのレビューをしてくれる?」と英語で話しかけてもらえたりして。他にもいろんな若い人たちと話してみると、みんな生き生きしながら仕事の話をしていることに気づきました。
── 知り合いかどうか関係なく、ビジネスの話が繰り広げられているって新鮮です。
佐田:
インドの人って周りの人を巻き込むのが上手だなって思って。なんていうんですかね・・・「ノリをつくる文化」があるっていうのかな。
── ノリをつくる文化。
佐田:
インドは若者が都市に出て行って、ゲストハウスとかに住み込みで仕事していたりするんです。つまり、ゲストハウス内には自分とおなじくらいの若いビジネスマンがいる。
だから、みんな会社の仕事は日没くらいには終わらせて、夜はゲストハウス内で「今こういうのを考えているんだけど」って話し始めるんですよ。それで「それめっちゃいいじゃん、明日やろ!」という感じの相槌が自然と飛んできたりする。
起業のハードルはもっと低くていいのかもしれない
── インドの若者はその・・・「勢いで起業しちゃう」みたいな部分もあるんですか?
佐田:
日本人より全然あると思います(笑)。勢いとノリで起業しちゃったっていうケース。小学生の頃の夢をそのまま叶えちゃおう!っていう感覚に近いのかな。
ちょっとおもしろかったのが、スイーツ屋さんを運営している若い男性。その人に「新作のチョコレートスイーツ出したから食べてくれよ」と言われて、僕は食べたんです。
── どうでした?
佐田:
そんなに美味しくなかった(笑)。
でも、完璧になってから提供するというよりかは、とりあえずやってみてそこからどんどん美味しくしていくというスタンスなんだろうな、と思ったんです。
とりあえずやってみるっていうのが、ビジネスのスピード感につながっているのかも。
── 失敗するかどうかはさておき。
佐田:
インドの人たちは、「まずは、やってみることがだいじ」と思っている気がします。たぶんその精神がバンガロールに若い起業家がたくさんいるという話につながるんじゃないかなぁと。
僕はインドに行ってから、そういえば日本ってあんまりノリや勢いで起業ってことがないなぁと感じて。
どちらかというと、まず周りの人から「メリット言ってよ」「リスク挙げてよ」と言われて、そのための資料づくりとか準備とかリスクヘッジに時間がとられる。なかなか形にならなくて、やる気も削がれていってしまう。
こういうパターンが多い気がしたんです。
── アイディアが形になる機会を逃しているのはもったいないですよね。
佐田:
もったいない。僕自身は起業家でもなんでもないんですけど、周りの人になにか言われて萎縮しちゃってなにもできないパターンを、日本で何回も見てきたなって振り返ります。
けれど、今回の旅で思ったのは、「死ぬこと以外かすり傷」は本当だってこと。
だから周りの人に何か言われて辞めちゃうんじゃなくて、周りの人に応援してもらって何かできる環境の方を、僕はつくってみたいのかもしれない。
そんなことを思いながら、帰ってきました。
これからの働き方を考えたとき、ビジネス領域を学ぼうと思った
── そもそも佐田さんが海外に関心を持ったのは、なにがきっかけだったのですか?
佐田:
映画です。子どもの頃はよく、洋画を見ていて、それで海外への憧れが募っていきました。
ただ、僕自身子どもの頃は買い物にも一人で行けないくらい臆病な子どもで、ずっと家の近くの森に入って行って冒険していました(笑)。
幼少の頃から海外に憧れを持っている人は、海外に行くのも早い気がするんですけど。自分の場合は初めて海外に行ったのは大学生のときでした。
── 学生時代はどんなふうに過ごしましたか?
佐田:
中学生のときに音楽がすごく好きになって、高校は軽音部でずっとバンド活動をしていました。
高校生の頃は自分の進路について、音楽の専門学校に行くか、大学に行くかを悩みましたね。
── 佐田さんが大学進学を選んだのはどうしてですか?
佐田:
ビジネスに活きる学問を学んでみたかったからです。
僕が高校生の頃は、「お金じゃなくて愛だ」ってマインドが、音楽の世界では重要視されている気がしていました。けれど、僕自身は音楽をやって行く上では「お金もだいじでしょ」っていう、ちょっとドライな部分もあって。
音楽は好きだから、学ばなくても勝手にやる。けれども、音楽をどう売り込んでいけばいいかっていうのは、わからなかったんですよ。
── ということは佐田さんは、大学進学の先に音楽を見ていたということですよね。
佐田:
そのときはそうですね。「音楽」と「海外で働いてみたい」という気持ちを、漠然とふたつ携えていました。
『ブラック・アイド・ピーズ』っていうアメリカのグループを知っていますか? ちょっと記憶が定かじゃないんですけど、たしか彼らは自分たちの音楽をCMに使ってほしいからという理由で、大企業とかにプレゼンしに行ったりしていたんですよ。
当時の僕は、これからは音楽家も音楽だけじゃなくて、別ジャンルの仕事もする時代になるんじゃないかと思っていて。彼らの存在を知っていたというのもあって、僕は音楽じゃなくてビジネスの領域を学んでみようと思ったんです。
それとやっぱり、ずっと子どもの頃から憧れていた「海外」との接点を持ちたかった。それで外大に進学しました。
挫折し、足を運んでよかったと思えた中国
── はじめて海外に行ったときの感想を教えてください。
佐田:
はじめての海外は大学2年生のときで、タイでバックパッカーをしました。
もともと発展途上国にマイナスなイメージを持っていたんです。「治安がよくない」とか「自分には合いそうにない」とか。だけどそれは、まったくの誤解でした。思っていたよりも、ずっと発展していたんです。
やっぱり貧富の格差はあるんだけど、都市部の発展具合というのが僕の想像をはるかに超えていたのが衝撃でした。
そのとき、間接的に入れる情報と実体験に基づく情報は全然ちがうんだって身をもって知りました。そういう意味で、いちばん足を運んでよかったと思うのは、中国。
── なぜ中国を留学先に選んだのですか?
佐田:
その当時、メディアが中国の反日行為について頻繁に取り上げていたから。
正直、当時の僕も「中国人ってみんな反日なんだろうな」と思っている節があって。でも、メディアの情報だけに左右されてしまっている自分ってどうなんだろう?という危機感もありました。
それで「誰かしら友だちになれないのかな」という気持ちで留学をしてみたんですけど、しょっぱなから挫折してしまって。
── 挫折。
佐田:
そもそも英語があまり通じないから意思疎通が難しかったし、万引き犯に間違われたりもして。あとはやっぱり、一度友だちだって思った人とも政治的な話になると「絶交だ」とか言われてしまって。
最初の1ヶ月くらいはモヤモヤした気持ちで過ごしていたんです。「もう、日本帰ろうかな」と思ったりもしました。
── その挫折が、佐田さんの中国に足を運んでよかった理由でしょうか?
佐田:
ここからなんです。
その落ち込んでいる状態で、オリンピックをやっていた公園の川沿いを散歩していたんです。そうしたらトイレでたまたまホームレスのおじさんと会って。
おじさんはトイレで寝てたから、僕が入ってきた瞬間に驚いてすごく怒ってきたんです。僕も怖かったからとりあえず隠れるようにしてトイレの中に入ったんですけど。でも、ここで逃げたらダメな気がして。
トイレから出て、電子辞書で「さっきは驚かせてごめんなさい。中国に来たばかりでいろいろとわからないことが多いんです。中国のこと教えてください」と伝えたんです。
── おじさんの反応は?
佐田:
すると急にふつうに話してくれるようになって。聞けば、昔どこかの企業の人だったみたいで、その頃日本人にすごく助けてもらったと言うんです。
「こんなところで日本の若者に会えると思っていなかった」とか「中国は街が綺麗じゃないだろう?」とか話してくれたんですけど、僕はこんなにふつうに自分と話してくれるなんてことはこっちに来て初めてだったので、もう号泣(笑)。
そこでおじさんに、「やっぱり中国の人って、反日の人多いんですか?」と聞いたんです。そうしたら「多いと思う。けれど全員が全員そうじゃないから、そういう人に話しかけてみれば?」と言っていて。
僕はその言葉にすごく勇気をもらいました。人間関係がうまくいかないことについて、吹っ切れたんです。現状嫌われていることを悩んでも仕方ないし、これから自分を知ってくれる人に好きになってもらえばいいや、と。
それで僕はギターを買って。
── ここで音楽が登場するんですね。
佐田:
ライブでもしてみようかと思って。
たまたま大学でライブフェスを開催していて、「オーディション受けてみない?」と声をかけてもらえたんです。それで受けてみたら決勝まで行けて。
決勝までの道のりが長くて、他の大学とかでもライブしたりしているうちに、自然と人間関係が拓けていきました。
結果的に僕は中国が大好きになって、中国で新卒として働こうかと悩んだくらい。
── 楽しい経験ばかりでなく、挫折も了解した上で佐田さんは海外に足を運んでいるのだと思いました。
サバイバル力を身につけて今を我慢せず生きよう
── 佐田さんは、今後どのように海外と関わっていきたいと考えていますか?
佐田:
最初のインドの話につながるんですけど、日本にアイディアを創出できてかつ、そのアイディアを盛り上げる文化が生まれる「たまり場」のような場所をつくってみたい気持ちがあります。
── ノリをつくっていく文化のお話ですね。
佐田:
それと、旅をして問題に感じたのが、やっぱり宿代が高いということ。けれど、そんなにお金はないけど旅したいという人の気持ちもわかる。
だから、形はシェアハウスなのかゲストハウスなのかわからないけど、海外を旅する人たちの拠点になるような場所をつくってみたいという欲求もあります。
── やりたいことがたくさんありますね。
佐田:
本当に(笑)。たくさん刺激をもらって帰ってきたので。
── 佐田さんもおっしゃるように、海外と関わり続けながら生きるってお金がかかるイメージがあります。その上で、今後どんなふうにお金を使っていきたいですか?
佐田:
僕自身はもともと、特別な目的がなくても生活のためにマメに貯金をするタイプなんです。とりあえずお金はあったほうがいいよねっていうスタンス。
でも今は、とりあえずの貯金はしなくていいのかな、という気持ちです。
── それは旅をして、そういうマインドに変化したのですか?
佐田:
そうですね。
インド・スリランカ・ネパールの旅では本当に明日死んでしまうかもしれない人たちをたくさん見かけました。
けれど、彼らは弱々しいどころか、なんとかして生きようとしている。彼らを見て、自分にはないサバイバル力のようなものを感じたんです。
一方自分はまだまだ全然生きていける余裕があるのに、とりあえずの貯金をしている。それは、とりあえずの貯金の分が、今の自分の限界を勝手に決めちゃってるような気がして。
やりたいことがそんなにない人とか物欲のない人ならいいのかもしれないけど、僕はそうじゃないから、もっとお金を使っていきたいなと。
── 貯金はしてきたけど、やりたいことも物欲もたくさんある。
佐田:
極端なことを言うと、ビルも買ってみたいし、クラファンで支援したい人たちもたくさんいます。
だからもっと、今やりたいことのためにお金を使ったほうが、自分は豊かなんじゃないかと思うようになったんです。
それに、いざとなったときに助けてくれる人が自分にはいるんだってことに気づけたのも、貯金にこだわらなくなった理由かもしれません。
── いざというとき助けてくれるのはどんな存在ですか?
佐田:
例えば、明日仕事をなくしても雇ってくれそうな人、とか。僕にとっては、旅先で出会った人たちや、今まで自分と関わってきてくれた人たち。
それは一夕一朝で得られる関係というより、いろんなことを積み重ねて助けてくれる存在になるのだと思います。
もしかしたら貯金って、不安を解消するための手札が少ないことの、裏返しなのかもしれません。たしかに生きていく上でまとまったお金が必要になるときはあると思います。
けれども、そのまとまったお金を得る手段って、必ずしも自分のお給料だけから捻出しなくてもいいんです。
インタビューした感想
「海外に行って、固定観念が壊れる」。海外経験がある人がよく口にする言葉で、しばしば「壊れる」こと自体がよしとされている印象があります。
固定観念が壊れると聞くと、どんなイメージを持ちますか? 筆者は、佐田さんにお話を伺うまで、「固定観念の崩壊=今まで自分の中にあった価値観が壊れ、新しい価値感が上書きされること」だと思っていました。
けれども、海外で新しい価値に触れ続ける佐田さんのお話を伺って思いました。海外に行くこと本当の価値って、固定観念が壊れる/壊れないで測るものではなくて、固定観念を問いただすことその行為自体にあるのではないかと。
私たちは、「自分はこれ!」と決めつけて生きてしまうと身動きが取れなくなってしまう反面、たくさん選択肢を持ちすぎても迷ってなにもできなくなる面倒臭さを持っています。
だからいつも自分の手札を整理して、適量にストックしておく必要がある。お金の使い方や仕事に対する考え方など、自分の価値基準を精査できる最高のステージが「海外」なのではないかと、取材を通して思いました。