愛媛県松山道後のゲストハウス「じょじょに」高木さんのダウンシフトする生き方

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ゲストハウス、泊まったことありますか?

ゲストハウスとはホテルや旅館と同じ宿泊施設で、ドミトリーと呼ばれる相部屋があることが一般的。

トイレやシャワーなどが共有で素泊まりが基本のため、一泊当たりの費用が安いことが特徴のひとつです。

宿泊者同士が交流できるリビングスペースや定期的に開催されるイベントなどもあり、一期一会の出会いも多く、近年全国的に人気が高まっています。

今回お話をうかがったのは、2014年10月にオープンした愛媛県松山道後にあるゲストハウス「じょじょに」のオーナー、高木さん。

広島で生まれ、松山の大学に進学、そのまま松山市内の会計事務所に就職して仕事を始めた高木さんは、あるとき自分の働き方に疑問を感じ、世界一周の旅に出ます。

旅から戻ると30歳にして上京し、再び就職。東京で、高坂勝さんの『減速して生きる―ダウンシフターズ』という本と、高坂さんが経営するBARに出会います。

そこから本格的にゲストハウス運営を検討し始める高木さんの、大学時代からのストーリーと、元経理マンだからこそのお金に対する考え方をお届けします。

ゲストハウス「じょじょに」オーナー・高木さんインタビュー

インタビュー日:2017年12月2日(土)

じょじょに1

大学時代は毎日、路上ライブをやっていた

── 高木さんがどういう人生を歩んできて「じょじょに」をつくったのかって聞いてもよいですか。

高木:
僕は広島県で生まれ、18歳まで過ごしました。そのあと大学進学で松山に来まして。大学生のときはずっと、それこそほとんど毎日、ギターを持って路上で弾き語りのライブをしてました。1,000ライブ以上はしたんじゃないかなあ。

── 1,000ライブですか!? それはすごいですね・・・。

高木:
1年生の冬くらいから、本当にずっと毎日です。風邪を引いても、試験の日にもやっていました。台風でもタクシーで出かけてましたから(笑)。

プロ志向だったわけでもなくて、その場が楽しかったんです。それこそストリートなんで、一期一会のコミュニケーションが生まれることが楽しくて。

── 今のゲストハウスのオーナーという仕事と似てる感じがします。

高木:
そう言われるとそうですね。僕は歌うことだけが目的じゃなくて、手段としてストリートライブを選んでいただけなのかも。道に座って歌っていたら、僕か、僕の歌に興味ある人しか立ち止まらないんです。

仲良くなれますよね、それは。今振り返って考えてみると、いろんな人とコミュニケーションを取る手段のひとつとして路上ライブをやっていたんだと思います。

ハードワークだった会計の仕事

高木:
大学を卒業しまして、そのまま松山で就職しました。会計事務所に入ったんですけど、すごくブラックな業界でした。

僕が勤めていた事業所だけがそうってわけではなくて、業界に丁稚奉公的な空気が残っていて、「将来、税理士や会計士になるために勉強させてやってるんだ」という感じなんですね。

当然、安月給だし、定時で帰れることなんてまずありませんでした。帰るのはいつも深夜、下手したら朝。松山で田舎だから、終電という概念すらなかった。

── コンパクトシティだから。帰れちゃうんですね。

高木:
みんな車や自転車で通勤してましたから。繁忙期は、朝、シャワーを浴びるのに家に帰って、そのまままた出社して次の日が始まるような感じ(笑)。

そのおかげで一通り会計の知識と給与計算と、そういう数字回りのことはひとりでできるようになりました。今となってはそういう知識がついてよかったって思いますけど、当時はしんどいだけでした。

ねこと宮台真司さんの本

会計の仕事をやめて、世界一周の旅へ

高木:
26歳の頃、会計事務所を辞めて、そこから3年くらい海外に行ってました。事務所を辞めると言うと「こんな中途半端なときにやめて、どこいっても一緒だぞ」と会社の人に言われてしまうわけです。

だから「いやいや、逃げて転職するんじゃない。世界を見るんだ」って言って、会社を辞めて海外に飛び出しました。

すごくベタなんですが、沢木耕太郎の『深夜特急』に憧れまして。文庫版1巻の巻末対談に「外国を放浪するなら26歳が最適」という説が出てくるんです。

だけど、今思い返せばブラックな労働環境から逃げたかったのがホントの理由だったのかもしれませんね(笑)

最初はワーキングホリデーのビザを取って、オーストラリアで働きながら1年間過ごしました。

そのあと2年はインドに行ったり、またオーストラリアに戻ったりしつつ、20ヵ国くらいを旅しました。

そして帰国。「さて、これからどうするか」って自分の人生について考えました。

世界一周から上京。100社に落ちる中で出会ったベンチャー企業で5年間働く

高木:
30歳になって日本に帰ってきて、「どこに雇ってもらおう」「履歴書は3年間空白だけど大丈夫か」と考えはするんだけど、リーマンショックがあった翌年だったから、田舎の地元じゃ就職先なんかほとんどなくて。

それで「東京でもいくか」って思って30歳で上京したんです。

で、板橋にあるシェアハウスに住みながら、100社くらいの会社に応募するんですけど、ほぼ全部書類で落ちました。

そんな中でも数社だけ面接してくれて、その中のひとつが、創業5年目で右肩上がりの、保険代理店のコールセンター事業をやっているベンチャー企業でした。

そこの経理部の前マネージャーの退職に伴い、マネージャー候補を探してるって求人が出ていて。一応会計の知識はあったんで、ダメ元で100社のうちの1社で履歴書を送っていたんです。

のちに直属の上司になる、一歳年上のCFO(最高財務責任者)が面接してくれました。

「3年間何も書いてないけど、何してたの?」「世界をうろうろしてました」「へえー、おもしろいね」みたいな感じ。結局そこが「あなたはおもしろそうだから、うちに来てくれませんか」と誘ってくれて。

僕の経歴を見た上で初めて「おもしろそうだ」と言ってくれた会社だったんです。

社長も僕と同い歳で、従業員400名ほど。平均年齢20代の若い会社でした。そこで5年間働きました。

じょじょに3

働き方への疑問、震災、ゲストハウスの誘い。揺れ動く自らの心

高木:
その会社では楽しく仕事をしていて、やりがいもあったんですけど、自分の仕事に対して疑問も生まれて。

自分が帳簿や管理会計データを見て素直に思うことと、会社の方針として監査法人や銀行など、外部に対して言わなきゃいけない内容が違うわけです。自分にウソをついているみたいで、どんどんストレスが大きくなっていきました。

その前後に東日本大震災がありました。

そのときに思ったのが「大きいシステムに依存していたら危ない、自分の生き方をちゃんと考えよう」ってことでした。僕もそうやって考えていたし、世の中の流れとしてもそういう動きがたくさん出てきてました。

世界一周の最中にインドのバラナシで出会った友だちがいるんですけど、彼が2011年の3月末ごろに僕に電話してきたんです。

「何してる?」「まだ東京でがんばってるよ」みたいな世間話から「あのさ、仕事辞めてゲストハウスやらない?」って言われて。僕はそれを聞いて「えっ?」って返しました。

── 急ですもんね(笑)。

高木:
彼も東京で働いてて、居酒屋の店長やってたんです。でも東日本大震災をきっかけに仕事を辞めて、車で西日本を旅していたみたいで。

「今、山口県にいるんだけど、ここでゲストハウスやろうと思ってるんだ。一緒にやらない?」って誘われたんです。

僕はそのときはまだ「へぇ、そんな発想あるんだね」って思った程度で、すぐに断ったんですね。当たり前ですよね、電話でいきなり誘われただけなんで(笑)。

彼はその後、本当にゲストハウスを開業し、今もゲストハウスをやっているんですけど、たぶん僕を誘ったことすら覚えてないと思います(笑)。

その誘いがあって、僕はそのとき、心はざわざわしましたけど「ゲストハウスをやろう」っていうところまではいきませんでした。

その友人は結局、山口県ではなくて、2011年7月に姫路でゲストハウスを開業します。立ち上げの経過やオープンしたあとの日々の様子もブログにアップしていて。

それを見て、だんだんと「おもしろそうだなあ」という気持ちが大きくなっていって。働き方についてあれこれ悩んでいる状態で友人のゲストハウス運営の様子に触れたものだから、「こういう生き方もいいかもなあ」とダイレクトに影響を受けました。

── これからの時代はそっちだ、と。

高木:
はい。独立しようと思ったのは、もうひとつきっかけがあって、高坂勝さんという方の著書『減速して生きる―ダウンシフターズ』との出会いです。

本の帯には「年収600万円から350万円。手元に残るお金は変わらず、たっぷりの時間で好きなことをして社会に認められる」と書いてある。

著書の高坂さんは、大学を卒業後、一流デパートに就職して、29歳で年収が600万円。成績もよかった。でも僕と同じように、大きいシステムに疑問を感じて、体調を壊したり精神を病んだりして、29歳のときに仕事を辞められたんですね。

その後、車で日本を一周したり、ピースボートで世界を回ったりしたあとに池袋で小さなBARをオープンするんです。

『たまにはTSUKIでも眺めましょ』という名前の、すべて手づくり、6.6坪の小さなお店。おもしろいなあと思いました。

高坂さんのBARに通うようになる

高木:
池袋は当時、僕が働いていた街でした。会社から家までは徒歩で30分ほどだったので、終電を逃したときとか、たまに歩いて帰っていたんです。

帰り道の途中に、住宅街の中に手づくりっぽいBARがあって、前々からおもしろそうなところだなと気になりつつ通り過ぎていたんです。本を読んで「あれ?」と思って、調べたら、そこが高坂さんのBARでした。

── すごい。奇遇ですね。

高木:
それからちょこちょこ通うようになりました。そのお店には、会社を辞めた人や辞めたい人しかいないんです。

高坂さんの本を読んで、共感した人や、そういう話をしたい人ばかり集まっていて。「九州から来ました。今は会社員なんですけど、豆腐屋やりたいんですよ」「じゃあ、辞めちゃえば? なんで会社員を続けてんの?」みたいな。

僕も僕で仕事を辞めようか悩んでいて。僕に対してももちろん「辞めちゃえば?」ですよ(笑)。

じょじょに4

人と話をしたくて旅をしていた。タージマハルを目の前にして得た気づき

高木:
最初はゲストハウスだけじゃなくて、「高坂さんのようにBARはどうか」「でも、いきなり素人が飲食をやるのは難しいかな」とかっていろんな事業を考えました。

ゲストハウスはその中のひとつだったんです。Excelで、事業計画を何パターンもシミュレーションしましたね。

めちゃくちゃ慎重に予算計画を立てたときに「ゲストハウスだったら、なんとかなるかも」って自分の中で思えました。

── お金の目処はやる段階で見えていたんですね。

高木:
そうですね。すべて自己資金で始めました。ゲストハウスがいいかなぁと考えだしたときに自分に合っているかなと思えた理由はもうひとつあって。

旅をしていたときに・・・インド有数の観光地のひとつなんですけど、タージマハルがある、アーグラという街に行ったときのことです。

タージマハルのすぐそばにあるゲストハウスに泊まっていたんだけど、実は僕、タージマハルを見てないんです。

なんでかというと、ゲストハウスでたまたま一緒になった人と話していて、盛り上がってしまい、日が暮れちゃって、そのまま朝までしゃべり続けたんです(笑)。

── まさに今日みたいな感じですね(笑)。

※取材が始まったのは22時過ぎで、この日も朝方まで話していた

高木:
そのときに気づいたのは「僕は観光地とか世界遺産が見たくて旅してるんじゃないのかもしれない」ってことなんです。

旅の最中、何をしてたかって、何をしていたわけでもないんです。本を読んだり、安宿なんかで知り合った旅人と、朝までチャイとかコーヒーとかを飲みながらしゃべっていただけです。

「僕って旅が好きだって思っていたけど、旅そのものが好きなんじゃなくて、人と対話するのが好きなのかもしれない」って改めて考えたときに、ゲストハウスは向いているなあって思えました。

僕は根が出不精なんです。あんまり外に出たくない。よく考えたら、いろんな人と出会って対話ができるなら別に動かなくていいんです。だったら、ゲストハウスつくれば、待っているだけで旅人や老若男女、いろんな人と出会えるって気づいたんです。

ゲストハウスの場所を松山に決めたワケ

── そこから松山でじょじょにを始められたかと思うのですが、地元の広島でやるという手もあったわけじゃないですか。松山にした決め手はなんだったんでしょう。

高木:
選択肢はたくさんありました。独立しようって決めてから、休みがあるたびに全国のゲストハウスを回ったんです。それこそ、100軒くらい。

── 100軒! それはすごい・・・。

高木:
めちゃくちゃリサーチしてました。各地域の観光客数とゲストハウス数とかを調べて比べたりして、「この地域はゲストハウスが足りてないな」とか。

松山は最初、選択肢になかったんです。

── えっ。意外ですね。

高木:
18歳から26歳まで、8年9年は松山にいました。そこからまったく松山に戻ることはなかったんですけど、会社員をしていた頃に8年ぶりに遊びに来たんですね。

さっきそこのキッチンでご飯をつくってくれていた、僕の古くからの友人のとんたろうくん。とんたろうくんとは大学時代に仲良しだったのですが、松山を出てから、8年間は音信不通で連絡先も知らなかったんです。

でも偶然、ある人を経由して、もう一生会えないと思っていた、とんたろうくんとつながりました。

その話の流れでお盆を使って、3泊4日くらいで松山に来たんですね。松山にはゲストハウスも数軒あるみたいだし、行ってみようと思って。

候補地ではなかったけど、ゲストハウスのリサーチを兼ねて、「久しぶりにとんたろうくんとか昔の仲間と会いたい。じゃあ行こう」と。本当に気軽な気持ちでした。

そうしたら、お盆だからゲストハウスが満室で部屋取れなくて。それで、とんたろうくんの家に泊めてもらうことになりました。そのときに「僕は学生時代、高木くんにすごい影響を受けた」って話をしてくれました。

── 今まで音信不通だったのに。そんなふうに思ってくれている関係性だったんですね。

高木:
人生観とかも影響を受けたと。で、もう会えないと思っていた先輩が、3泊松山に泊まりに来てくれる。

だから「仲間に紹介して、話を聞かせてやりたい」ってことで、とんたろうくんの家に泊まった3日間、入れ代わり立ち代わり20人くらいの友人知人に会わせてくれたんです。

嬉しかったですね。そのとき、松山が初めて、開業の候補地として、浮上しました。

「見ず知らずの土地でポツンとはじめるんじゃなくて、土地勘もあって、とんたろう君や彼の仲間たちがいる松山も悪くないな。道後温泉もあるし。彼らが助けてくれるかもしれないし」

って、これはもう下心です(笑)。

でもそうやって考え始めた瞬間、松山を候補に入れた瞬間に、もう松山しか思い浮かばなくなったんです。

ゲストハウスをオープン。順調に進む

── Excelで計算していたのも全然関係なくなっちゃったんですね。そういう経緯があった上で松山でゲストハウスをオープンして、実際のところどうだったんですか。

高木:
順調でしたね。

── すごい。もう、最初から。

高木:
うまくいったというよりは、事業計画がはじめからものすごく低空飛行を前提にしたものだったんです。

自分でも「ここまでひどいことはないだろう」っていう最低ラインの事業計画を立てて、それに合わせて、運転資金を考えました。その最低最悪の計画は短期間でクリアしたって意味です。

当初、事業計画は3パターン考えました。うまくいった場合、ふつうくらいの場合、最悪の場合、の3パターンです。

最悪の場合の事業計画でいくと・・・リアルな数字を言いますけど、この物件(ゲストハウス)の家賃や水道光熱費なんかの諸経費、僕の生活費をすべて含め、18万円あれば回ると試算しました。

これを一泊の料金である2500円で割ると、72人です。

── はい。

高木:
72人を30日で割ると2.4です。

一日に、ふたりか3人のお客さんが泊まってくれたら、お金が回るということです。一ヶ月で72人という分岐点に、オープンから24ヶ月目で到達する事業計画を立てていました。

オープンから2年間は一日平均ふたり未満でいい。はじめの半年はほとんどゼロに近いような計画です。

もうひとつ。事業を撤退すべき損切りラインも「自分の貯金がここの水準まで減ったらきれいさっぱりやめよう」と明確に決めてました。

オープンから2ヶ月目で、その分岐点を超えました。目標に対し23か月前倒しの達成です(笑)。

── 最初からお客さんが集まったのは、どういう要因だったんですか?

高木:
オープン当初、まだまだお客さんが少なかった時期に、とんたろうくんや、彼経由でつながった友人たちが毎日のように遊びに来てくれて盛り上げてくれました。お客さんひとりに対して地元民5人みたいな(笑)。

たったひとりで、松山以外の知らない土地ではじめてたら、絶対にうまくいってないと思います。

じょじょにアイキャッチ

僕は“石橋をたたいて渡るタイプ”

── お金に関する考え方というポイントでもお話聞かせてください。ゲストハウスをやると決めて事業計画を立てた話もそうですが「計算するのが得意」というご自身の性格は、会計の仕事をしたから得たものですか?

高木:
それは、卵が先かニワトリが先かって話と同じで、ある程度適正があったから、会計の業界に行ったんじゃないかなと思います。

仕事として専門的に学んでいく中で、スキルが向上して、もっとおもしろくなっていったんじゃないかなと。

── それこそおこづかいとかって、たくさん貯めたり、いくら使ったか計算したりとかしてましたか?

高木:
あっ、それはそうですね。大学のときは、普通の家計簿以外に、今から考えると会計の貸借対照表、バランスシートみたいなものを独自でつくってましたね。

僕は「石橋をたたいて渡るタイプ」なんです。

安定した職業をやめていきなり世界一周をしたり、起業したりするから、ギャンブラー的な性格だと思われることも多いんですけど、本当は石橋をたたいてからじゃないと渡れない臆病者なんです。

朝まで話すことが最高に楽しい

── 最後になるんですけど、今の生活は理想ですか?

高木:
もちろん日々の生活に対してもゲストハウスの経営状況に関しても、不満がゼロかというとウソになります。

でも、いつも考えるようにしているんです。5年前の自分が思い描いた世界が今、どれくらい実現しているかって。

100%叶ってるんです。

だから自分自身が不満を言いそうになったときに、それを思い出すようにしています。

自由な時間はたくさんあるし、お金も回ってる。いろんな仲間やお客さんが毎日のようにゲストハウスに来てくれます。

居酒屋じゃないから、「2時間たったから出てください」とかも言われない(笑)。

話が尽きなければいつまででも、朝まででも話していられる。

── そうですね。

高木:
「こんな楽しいことない」って本気で思います。さまざまな職業や興味深い経験を持った方たちとも知り合えます。

それって、東京で会社員をやっていたら、絶対に経験できないような日々です。

今日もこうしてインタビューしてもらって、初めて聞くような話があったり、インタビューされる体験が自分の中にインプットされるじゃないですか。

そうやって日々刺激を受けて、刺激によって自分が変わっていくのが楽しいです。ゲストハウスをやる醍醐味って、そういうところにあるんじゃないかなぁと思います。

>ノマド的節約術主宰の松本との対談記事に続きます

参考:【対談】そこで出会った人々とは、不思議といろんなことが起きる。愛媛県松山道後のゲストハウス「じょじょに」の魅力とは?

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この記事を書いた人

くいしん

フリーの編集・ライター・PR。「灯台もと暮らし」編集部。1985年、神奈川県小田原市生まれ。高校卒業後、レコード店員、音楽雑誌編集者、webディレクター、web編集者を経て、個人事業主に。主にカルチャー、音楽、生き方、働き方、ローカル、暮らし、メディアについて執筆。

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