昨今、さまざまな生き方や働き方が模索されています。
今回は、そんな変化の激しい時代を生き抜く上で、心強い道しるべになる言葉を聞きました。
「結局、人を喜ばせられれば、生き残っていけるんだなって」
東京と北海道でシーシャカフェ「いわしくらぶ」を経営する磯川さんは、司馬遼太郎の『俄(にわか)』という歴史小説からこの考え方を学んだと言います。
磯川さんは、中学生の頃に松下幸之助の著書を読み、商売を学ぶために高校を中退して本屋さんで働き始めたという、ちょっと変わった経歴の持ち主。
若くして商売人を志す素地をつくった家庭環境や、人を喜ばせる「何でも屋」としての生き方を、お金の価値観を通してお聞きしました。
「いわしくらぶ」オーナー・磯川大地さんインタビュー
東京と北海道に、ふたつのシーシャカフェ
── 現在どんなお仕事をされているんでしょうか。
磯川:
東京の水道橋と北海道の北見市で、水タバコと読書が楽しめるシーシャカフェ「いわしくらぶ」を運営しています。
もともとは先輩と北海道で映像制作会社をやっていたのですが、自分でカフェをやってみたいなと思って、2012年に北見でオープンしたのが始まりです。
金曜日と土曜日の夜だけ知り合いの喫茶店を時間借りして、そこでシーシャを提供しはじめたのが今につながっています。
── その後、東京にもお店を?
磯川:
そうですね。きっかけは高校の同級生の言葉でした。
東京でウェブマーケティングのコンサル会社に勤めている彼に、店のサイトに関する手伝いをしてもらっていたんですけど。
そんな彼が北見の店に来るたびに「この雰囲気の店が東京にあったら流行るよ」って言ってくれていて。
彼とお金を出し合って、2017年の5月に開店しました。
── そもそもなぜ、シーシャを選んだのでしょう。
磯川:
東京を好きになるきっかけが、下北沢のシーシャ屋さんだったんです。
制作会社時代に撮影で訪れた東京は、歩いているとすぐに人がぶつかってくるし、正直あまりいいイメージがありませんでした。
でもたまたまそのお店で、お客さんたちと深く話すことができ、東京の温かい面に触れることができたんです。「あっ、東京にもこういう人たちがいるんだ」って。
だからシーシャ屋さんになりたいというよりは、そういう出会いが生まれる場所をつくりたい、という感じでしたね。
貯められないなら、稼げばいい
── 東京と北海道を行ったり来たりだと、交通費がかさみますよね。
磯川:
月々の支出だと、飛行機代とタクシー代、ホテル代、あとは交際費で27万円くらいは使っています。
ただ僕は、物欲があまりなくて。
特に、腕時計や高級車といった、自分のステータスにつなげるようなお金の使い方をしないんです。
その代わり、体験価値に投資します。
たとえば一泊4,000円のカプセルホテルに泊まるより、浅草のワイヤードホテルのスイートルームに4万円出したほうが、勉強になる。
あとは、人のために使うことも多いですね。昔から、コンビニで後輩にたくさん奢ってしまうタイプでした。
そうやって使うべきところには使うし、見栄を張るためには使わない。
それが僕の考え方です。
逆に、価値あるもののためなら稼いだ分だけ使います。貯金も、最近までほぼゼロでした。
── 思い切り使うというお金の使い方は、昔からなんでしょうか。
磯川:
昔からですね。一度会社員をしていた時に、お給料が月30万円でボーナスも100万円もらえる状況だったのに、全然お金が貯まらなかったんです。
その頃、母にもらったアドバイスが、「貯めるのは諦めて、使いきれないくらい稼げばいい」ということ。
それまで「月々の収入の1割は貯金すべきだ」みたいな固定観念があったんですけど、それがどうしても僕にはできなかった。
だから「貯められないなら稼げばいい」っていうのは、僕にとって大きな転換点でした。
人を喜ばせられれば、生きていける
── 大胆なアドバイスをされるお母様ですね。
磯川:
商売人の娘なんです。父も商売人で、北海道で大きな飲食チェーンを経営していました。
そんな家族だからか、お金に関する教育方針もおもしろくて。
家では何か労働をしないと、お小遣いをもらえなかったんです。毎朝学校へ行く前に、玄関の掃除をしたら10円もらえる、とか。
案外しんどさはなくて、むしろ普通の学生だったら持てなかったであろう、お金に対する感覚を養うことができました。
学生時代の活動って、お金にならないじゃないですか。部活の朝練でしんどい思いをしても、1円ももらえない。
その中で、毎朝たった5分でも、人の役に立てればお金がもらえる事実はすごく新鮮で、学びになったんですよね。
── 他にご両親から受けた影響はありますか?
磯川:
父の影響で、よく本を読んでいました。中学生の頃から、松下幸之助や本田宗一郎をはじめとした、実業家の本を読むようになって。
そういう方たちって、あまり真面目に学校に行っていない人が多いんですよね。
だから僕も学歴を重要と思わなくなり、16歳のときに高校を中退したんです。
松下幸之助の影響で商売の勉強がしたくなり、江戸川区にある本屋さんで3年間ほど、いわゆる「丁稚奉公(でっちぼうこう)」をしていました。
── 丁稚奉公。年少者が勉強のため下働きすることですよね。
磯川:
ええ、住み込みで働いていたんです。お給料は月3万円で食事は用意してもらって、バックヤードで寝かせてもらっていました。
江戸川区にある「読書のすすめ」という本屋さんなのですが、全国に経営者のファンがいて、よく集まって飲み会を開くような、少し変わったお店だったんです。
そういったお客さんとの交流が商売の勉強にもなったので、夢中で働いていました。
体験価値にお金を使うという考え方も、その本屋さんの社長に教えてもらったことです。
── そこで出会った本の中で、印象に残っているものはありますか。
磯川:
司馬遼太郎の『俄(にわか)』という歴史小説です。
磯川:
主人公は明石屋万吉という、実在した大阪の任侠人。
小さい頃から寺銭荒らしや賭場荒らしをやっていたような男なんですけど。
そのうち「頼まれごとは試されごと」と言い出して、ヤクザの親分とかから、他の誰もやりたがらない仕事を引き受けるようになっていくんです。
おっちょこちょいな性格で金遣いも荒いんですけど、そうやって「何でも屋さん」として浮世を生き残っていく。
結果、「人を喜ばせることで生き残っていけるんだ」ってことを教えてもらいました。
我が家のお小遣い制度にしろ、『俄』にしろ、こうしたビジネスの本質を早くに学べたことが、今の自分のベースになったと思います。
── その考え方は、今の仕事にも活きているんでしょうか。
磯川:
もちろんです。
今でも表向きにはシーシャ屋ですけど、裏では何でも屋さんみたいなもので。
店に来る社長さんから、ホームページや映像制作の仕事を依頼されて、店にいながら仕事をしたりしています。
だから僕の仕事に対する考え方は「お金を得よう」ではなく、「誰か困っている人がいないだろうか」っていう方向なんです。
ふたつの性格を活かした「何でも屋さん」
── 「いわしくらぶ」の今後の展望もお聞きしたいです。
磯川:
実は今、いろいろな選択肢を模索中でして。
ひとつは海外への出店。アメリカとかヨーロッパにひとつずつ店舗があったらいいなっていうのは、なんとなくの野望として考えています。
もうひとつ考えているのは、「いわしくらぶ」で物販を始めること。
こうした店舗拡大やモノづくりを通して、ブランドの知名度を上げられたらいいな、というのがひとつの方向性ですね。
あとはもう、他の人に任せてしまうのも手かなと考えています。
── ご自身はどうされるんですか?
磯川:
小説を書きながら旅でもしようかな、と。
自分の中に、商売人としての性格の他に、表現者としての性格があると思っていて。
丁稚奉公が終わってからしばらく、小説家や役者を目指してフリーターをやっていた時期もありました。
今でも絵を描きたくなったり、物語を書きたくなったりするんです。映像制作をやっていたのもそういう方向の欲求ですね。
だから両方の性格を活かして、店もやりつつ、バランスよく活動していきたいなと思っています。
最終的には、同時代の人におもしろがられつつ、歴史には名を残さないような人物になれたらいいですね。
ちょうど『俄』の明石屋万吉も、江戸時代までは名を轟かせたものの、やくざ者だから現代にはあまり名がでない。
僕もそんな、おもしろい「何でも屋さん」になれたらなと思います。
【編集後記】インタビューを終えて
お店を経営しているからといって、商売人としての型にはまらず、新しい自分の可能性を探し続ける磯川さん。
一方で、価値あることに思い切りお金を使う、人を喜ばせるためになんでもやるといった、芯の強い一面も持ち合わせています。
そんな磯川さんの言葉から学び取れるのは、自分にとって、他者にとって、必要なものはなんなのか、その本質を見極めようとする姿勢。
本質がブレないからこそ、型にはまらない自由な発想で、新しい何かに挑戦できる。
磯川さんの「なんでも屋」としての生き方には、今の時代を生き残るために必要な、したたかさがあると言えそうです。