東京で大学生活を送りながら、週のうち3日は富山県に滞在し、商店街の中に立ち上げたコミュニティハウスを運営する。
これは、合同会社くらしの代表である伊藤大樹さんのライフスタイルです。
伊藤さんは、現在は都内の大学に通う3年生。
19歳の頃、富山県に「マチトボクラ」というコミュニティハウスをつくり、20代世代の若者に向けて「だれでも、家族以外の人と関わりを持ち続けられる」ことを目指し続けてきました。
中学生までは石川県で暮らしていた伊藤さん。高校から隣県である富山の高等専門学校(以下、高専)に通い寮生活を始めたそうなのですが、そもそも富山にやってきた理由は、「中学生の頃に両親と喧嘩をし、一人暮らしがしたかったから」だったのだそう。
また、マチトボクラのような課外活動を始めることになったきっかけも、「高専で3年生だった頃に学生会長をやっていたけど、それだけでは物足りなくなったから」と言います。
家を出て、学校の中からも出て、伊藤さんが関わりを持つようになったのは、富山で暮らす地域の人たち。
都内で大学生をされながら、今も月の半分近くは富山へ帰る伊藤さんは、富山について、「お金のより良い考え方や使い方、子どもの頃から切望していたものを得られた場所」だと語ります。
伊藤大樹さんインタビュー
インタビューした日:2018年11月20日(火)
大学生の「富山・東京」二拠点ライフ、交通費は月10万にかさむことも
── 自己紹介をお願いします。
伊藤大樹(以下、伊藤):
1997年生まれの、大学3年生です。大学に通いながら、富山でコミュニティハウス「マチトボクラ」を運営しています。
マチトボクラだけでなく、高専の頃から大学生が学外でキャリアを積む活動を支援するICTビジネスモデル研究会や米国大使館が慶應SFCと一緒に主導する大学生のアントプレナーシップを醸成するためのプログラム・TOMODACHI イニシアチブといった活動にも携わっています。
── とても忙しい毎日を送られているのでは?という印象です。
伊藤:
そんなことないですよ。東京にいるときはよく、暇だなぁと思いながら家で映画とか観ています。昨日も『スターウォーズ』を2作観てしまいました(笑)
だけどたしかに、移動は多い方かな、とは思いますね。ICTビジネスモデル研究会が全国規模でビジコンやイベントを定期開催しているのですけど、僕は愛知と石川を中心にその審査員もさせてもらったので、愛知と石川にも赴きました。
── 交通費も多くの大学生がかかっている金額の何倍にもなっていそうです。
伊藤:
毎月交通費だけで10万くらいは飛んでいると思います。けれど夜行バスで帰ると疲れが残ってしまうので、そこはやっぱり新幹線に乗ってしまいますね(笑)。
地域の匂いが色濃く漂う商店街から生まれた「マチトボクラ」
── 伊藤さんは、富山の高専に通われていた頃に、コミュニティシェアハウス「マチトボクラ」を立ち上げたのですよね。その経緯について教えてください。
伊藤:
そもそも僕、富山にやってきたのは中学生の頃に両親と小さな喧嘩したことがきっかけだったんです。
喧嘩をきっかけに反抗期の影響も相まってか、「親から自立して生活したい」と思うようになりました。今思うと、自分でお金も稼いだことがないのに自立だなんてよく言えたものだと思うけど(笑)。
とにかく、富山にやってきたのも、高専を選択したのも、何か特別にやりたいことがあったというよりかは、親から離れて暮らせる環境を探した結果そうなったという感じで。
── なるほど。そんな伊藤さんが、学外の活動に関心を持ち始めたきっかけはなんだったのですか?
伊藤:
2年生の頃に、おもしろい先生に「学校だけ行ってもつまんないだろう。学生向けのコンテストやプログラムなんかもあるから、一回行ってみたら?」と言われたんです。
それで先生に言われたことだし、と渋々参加してみたコンテストが、ICTビジネスモデル研究会のビジネスコンテストでした。
そのときは「ICTを活用して、新しいビジネスモデルを提示してください」という内容のコンテストだったのですけど。そこで発表して、北陸大会で賞をもらって、全国大会で発表させてもらったんです。
── 初めてのコンテストで全国出場、すごい。
伊藤:
でもそのときは、アイディアに想いとかはなくて(笑)。ただコンテストに出てよかったな、と思うのは、そこからちょっとずつ学校の外で生活する人たちとの関わりが増えたことですかね。
ビジコンをきっかけに自分の中で漠然と「なにかやりたいな」という想いが芽生えました。それで3年生の時に、学校のプログラムを利用して1年間カナダに留学をしようと思うようになりました。
そのためにはテストでもいい点を取らないといけないし、出席も必須だし。目標はあったので、それなりに頑張っていたのですけど、ある日寮のお風呂場で友だちと遊んでいて、その場にいた後輩を怪我させてしまったんです。結果、自宅謹慎になって、留学の話もなくなってしまいました。
── それは、ショックでしたね・・・。
伊藤:
じゃあ日本でなにかしよう!と思って、学生会長のようなことをやったりもしてみました。けれど、やっぱり学校の中だけでは物足りなくなって、その次はサークルみたいな形で学生を10人集めて、学生団体を立ち上げました。
最初はそのメンバーと一緒に、地域の方に協力をしてもらいながら商品開発やイベントなどを企画していたりしました。
そんなときに富山市の第3セクターが企画した「まちづくりコンペティション」というイベントがあって。
そのコンペティションで「商店街の中でセレクトショップをしたらもっと若い人がくるんじゃない?」という提案を、僕たちがしました。結果、20万円の支援金をいただいて、実際に協力者・出店者を募り、期間限定でお店をオープンしたんです。
── 商店街でセレクトショップを。
伊藤:
1週間くらいの期間やらせてもらいました。
そのときに、商店主の人たちとどこでどのようにお店をやるのかということを話していたら、僕は商店主の方々のお話がとてもおもしろいな、と感じて。
── どんな部分をおもしろいと感じたのですか?
伊藤:
商店街の人たちは、商店街育ちの方が多いんです。僕は富山で生まれ育ったわけではないし、高専からこっちにきたので富山市内のことはなにも知らなくて、どちらかというと気分は旅人の方に近かったのかもしれません。
そんな中、商店街の方々の口から聞く「あそこにはこんな人がいるよ」とか「あの人はこんなところがおもしろいよ」とか、ちょっとした裏話にすごく好奇心が駆り立てられて。
ふと、自分のように外から来た人間は、こういう地元のちょっとした話が聞きたいんじゃないか?と思ったんです。観光資源を見て回るだけではなくて、地域の方と関わる楽しさっていうのがあるはずだと。
だから商店街の中やその近くに、ゲストハウスがあったらいいなと思ったんです。まちづくりコンペティションを通して、商店街の人たちと知り合ったことをきっかけに、その人たちと関わって一緒にご飯を食べたりお酒を飲んだりいろんなことを話せるゲストハウス、地元の人と一緒に食卓を囲むようなゲストハウスを作ろうと思いました。
こんな想いから誕生したのが、コミュニティハウス「マチトボクラ」です。あえて、コミュニティハウスと言っているのは、地域の人たちと関わって富山県の一員だと思ってくれる人がひとりでも増えてくれるように、という願いからです。
地域の人たちとの関わり合いの中で磨かれていった経済感覚
── マチトボクラをつくろうと思ってから、実際にどのようなアクションを起こされたのですか?
伊藤:
まずは商店街のことを知りたいと思い、セレクトショップのときに使わせていただいた呉服屋さんのスペース4畳半に住まわせてもらいました。
寮生活にちょっとうんざりしていたところもあったので、寮も辞めて、スーツケースと寝袋だけで1ヶ月ほどそのスペースに泊まり込み(笑)。
── すごい行動力ですね・・・! その1ヶ月の期間はどんなことをされていたのですか?
伊藤:
商店街の家具屋さんや服屋さんをやっている人と話して、「こういうゲストハウスをやりたい」ということを伝えてみたり、建築士さんにも相談したりしていました。あとはいろんな物件をみて回ったり。
消防法の関係で商店街の中にゲストハウスをつくるのは難しそう、ということになったりもして、やっぱりできないのかな・・・とつまづいたりもしていました。
そんなところに不動産の知り合いの方が、「商店街の近くの家を借りてやってみれば?」と言ってくれて、古い一軒家を紹介してくれたんです。
内見したときに、そういえば自分も今住む家がないし、宿泊目的だけじゃなくてなにか地域の方と関わり合えるようなリビングスペースがあったら展示とかイベントとかできるなと思いました。
それで一軒家を賃貸で契約することに決めました。それが19歳のときでした。
── マチトボクラの立ち上げに当たってのお金はどのように集められたのですか?
伊藤:
敷金礼金、家賃くらいしかかかるものがなかったのですけど、それは僕の貯金から捻出しました。その頃にはビジネスコンテストで4つほど賞をもらっていて、その賞金を貯金していたので。
また、一軒家を買い上げずに賃貸で契約したのも、買い上げたらシェアハウスはやりにくくなるという情報を地域の人から聞いていたから。
2週間くらい経った頃におなじ学校の子がやって来て「私も寮がつまんないと思ってた」と言われたので「じゃあ、住む?」という流れに(笑)。それをきっかけにマチトボクラは、民泊用だけではなく、シェアハウスとしても機能し始めました。
── マチトボクラはオープンしてから、最初はどんな様子でしたか?
伊藤:
お金の話で言うと、最初はマイナスで。初めの頃、家賃は7万円負担していたんですけど、富山の感覚で家賃が7万円って高いから、精神的にはけっこうきつかったです(笑)。
でも3ヶ月くらいたった頃にはシェアハウスの住人も3人くらいになり、リビングで定期的に街の人とイベントができていたので、黒字になりました。
お金の失敗は、まぁ僕の家でもあるので家賃がかかっているだけと考えられるからそんなに失敗はなかったと思うのですけど、最初のときはずっと不安があったので、エクセルでまとめている収支の管理表を毎日チェックしていました。
── まだ19歳だったわけですよね。貯金で一軒家を契約して、コミュニティハウスを回して、売り上げを管理して・・・どうしてそんなに経済感覚がしっかりされていたのかな、と。やっぱり寮生活が大きかったとか。
伊藤:
いえいえ、僕は寮に来てからも金銭感覚は身につかなかったんですよ。
帰省も、結局両親に新幹線代を出してもらっていたし、1年生の終わり頃からバイトをはじめてみたけどすぐお金がなくなるし、「お金を稼ぐのは大変だなぁ」とか思っていました。
マチトボクラの構想を練り始めたあたりから、「人に協力してもらうのにこれだけお金がいるんだ」「何か始めるのにこのくらいお金がかかっちゃうんだ」とひとつずつ気づいていきました。
── マチトボクラと一緒に、伊藤さんの経済感覚も磨かれていったということですね。
伊藤:
そうですね、そのときに関わってくれた人のおかげでお金のことについて知らなかったことを知ったり、理解を深められたのだと思います。
富山市に住んでいる設計士さんの方ですごく感謝したい人がいて、マチトボクラの立ち上げにあたってどのくらいのお金がかかるかということを親身になって相談に乗ってくれたんです。エクセルでどのくらい費用がかかるのか見せてくれたりもして。
夢を応援してもらうだけじゃなく、ちゃんと現実的なことも教えてもらいました、まるで親のように。
家や学校では教えてくれなかったお金の使い方は、街の人たちから学びました。後輩や仲間にはお金を使うべき理由とか、やりたいことのためにどう準備すればいいのかとか。そのおかげで無駄遣いもせず節約できている部分もあると思います。
家族以外の人たちと家族のようなコミュニケーションが生まれる場をつくりたい
── 伊藤さんが高専を卒業後、東京の大学進学を選択したのはどうしてですか?
伊藤:
東京に来たのは、高専卒業でそのまま就職という選択肢が自分の中ではなかったからです。
というのも、最初の方でお話しした米国大使館と慶應SFCが取り組んでいるTOMODACHI イニシアチブの活動にもっと関わりたいと思っていたから。
大学生が自分の生きる社会の中で課題を見つけ、それを解決していくための一歩を手助けする活動をしているのですけど、富山にいたらなかなか対面でミーティングができなくて。
それが歯がゆかったので、東京に来たいと思っていたんです。
それと、自分のキャリアを考えたときに、正直そのときの自分の実力だと納得できる就職ができそうになかったというのもあります。
富山の企業にそのまま就職するのも何かちがう気がしていたし、僕自身は今年の秋に合同会社くらしを立ち上げてその中でマチトボクラを回していこうと思っているのですけど、一度は就職してみたい気持ちもある。
いろんな要素が重なり合って、大学進学を選択しました。
── だけど完全に東京を拠点にするわけではなくて、富山と行き来されているのは、やっぱり伊藤さんにとって富山が特別な場所だからでしょうか?
伊藤:
そうですね。でも大前提に、まず僕の家が富山にある、というのがあります(笑)。
マチトボクラが今は二号館もできて、ふたつあるので、つまり富山には僕の家がふたつあるんです。
── ご両親は今も石川に・・・?
伊藤:
いえ、両親は今は都内で暮らしています。
うちは昔から転勤族で、じつは僕が富山に移り住む15歳のタイミングで両親は東京に引っ越しているんです。
なので僕は実家と、今一人暮らししている東京の家と、富山の家があって。
── 帰る場所がたくさん(笑)。
伊藤:
なのですけど、やっぱり富山は特別ですね。それはたぶん、転勤族だった僕が子どもの頃から切望していたものを得られた場所だったからだと思います。
── 子どもの頃から切望していたものとは、つまり?
伊藤:
家族以外の人とのつながり、ですね。
ずっと転勤族で、転校のたびに友だち関係に不安を抱いてきました。不安というか、たぶんそのときの自分はいろいろと寂しかったんだろうなと思います。
伊藤:
だから家族以外の地域の人たちともつながれるマチトボクラは、僕自身が誰よりも望んでいたもの。
それを富山につくって、今度はもっと周りの人たちの寂しいを無くすために、見ず知らずの土地でも家族のような温度感で誰かと関われる場所をつくりたいと思うようになりました。
自分の過去の寂しさが原動力となって、コミュニティハウスの運営とか、大学だけじゃなく広く外と関わる活動をしているんだろうなと思っています。
東京と富山、たまに愛知や石川、交通費や宿代はかかりますけど、関わる場所が増えたら学べることと比例して収入も上がりました。
そして何より学外の活動を通して、僕が一緒に何かやってみたいと思える人と、僕と一緒に何かやってみたいと思ってくれる人の両方が増えたことが、とてもうれしいです。
さいごに:インタビューした感想
無駄遣いをしてはいけないとか、お金の貸し借りはいけないとか。お金に関する「いけない」は、親や学校が教えてくれたように思います。
けれど伊藤さんにお話を伺って、自分自身のことを振り返ってみると、「お金のより良い使い方」については、親や学校はあまり教えてくれなかったなぁと思ったりしました。
お金のより良い守り方とお金のより良い使い方。
その両方知って、下の世代に伝えていけるようになりたいなぁと、取材を終えた今は思っています。