「自分の思いに正しく投資できていたら、回り回って返ってくる」看護師から「旅する写真家」になった塩川雄也さんの人生

自分のやりたいことってなんだろう? 天職はあるのかな?

そう考えたことが一度はあるかもしれませんね。

考えたけど、まだ天職にたどり着いていなくて、いろいろと迷っていることはないでしょうか。

今回お話を聞いたのは、写真家のもとで1年の修業後独立し、写真集も出版した新進気鋭の写真家・塩川雄也さん。

医学部を卒業して看護師になり、写真家になった塩川さんのキャリア観とお金に対する考え方に迫ります。

塩川雄也さんインタビュー

塩川さんアイキャッチ

やりたくなかった職業を仕事に

── 塩川さんは医学部ご出身だと伺ったのですが、今の職業はカメラマンですよね。どのような経緯で写真家になったのでしょうか。

塩川:
医学部に入ろうと思ったのは高校時代で、進路に悩んでいたんです。

お世話になっていた保健の先生から「保健に興味があるなら、保健師はどう?」と提案されたことがきっかけでした。

その後、保健師になりたくて、山口県の山口大学医学部保健学科に進学しました。

保健師を目指そうと思って入ったんですが、保健師はピンとこなかったし、同じ学科で学べる看護師にもなりたくないと思ってしまったんです。

── 入学したのに、ですか。

塩川:
勉強していく中で、あまり看護に興味を持てませんでした。

でも実習が始まり、現場でいろいろな人と接したり、大学時代に交通事故で入院して1年休学した経験を経て、看護師もありなんじゃないかと思い始めました。

奨学金の存在もあったので、まずは1回就職してそれからやりたいことを見つけるのもいいな、と。

── そして看護師の資格を取ったんですね。興味を持てない、ピンとこない仕事のスキルをきちんと身につけて、実際に働かれていたというのが興味深いです。

塩川:
仕事は、自分のやりたいことばかりやるわけじゃないですよね。

どんな仕事にも責任があるし、身につけてきた技術や知識が活かせていたら、いいと思っていました。

それに看護師は社会貢献や人のためになる実感がすごく得られる仕事なんです。

最初、興味はなかったけど、看護の仕事に対してのリスペクトがあったから、仕事として身につけることができたんだと思います。

何を求めて、カメラマンに転職したの?

塩川さん1

── そこから、どうしてカメラマンをやることにしたのでしょうか。

塩川:
数年看護師として働いている間にいろいろ考えました。どのくらいこの仕事を続けていくのか、とか。

本当にやりたいことってなんだったっけって。

やりがいはすごくあったけど、僕はもっと外を向いて行きたいという感覚を持っていました。

先輩たちは山口で、地に足をつけて働いているイメージがありました。

だけど僕は、世界を旅している人の生き方にすごい憧れがあって。

広い世界のいろいろなところを見たい、たくさんの人に会いたい、旅したいという思いが強かったんです。

学生時代の事故の経験からも、人生は本当に何があるかわからないから後悔しないようにしたいという思いもありました。

経緯としては、山口の大学病院で丸々3年働いたあと、退職したんです。

ちょうどその頃、働き始めたときから貯めていた旅貯金がいい金額になっていたから辞めたんですけど・・・。すぐ旅には行かなかったんですよ・・・。

── どうしてですか?

塩川:
実は、病院で勤めている最後の1年間は、看護師と並行して音楽活動をしていたんです。

バンドのボーカルとして、真剣に活動していました。

── 音楽活動もされていたんですか!?

塩川:
はい。仕事を辞めてからも、1年くらい福岡を拠点にフリーターしつつ音楽活動をしていました。

退職して旅に出る予定が、ふつうに生活しつつ音楽活動をしていたので、貯めた貯金が思った以上に早く無くなっていきました(笑)。

あとから考えたら、病院で働いていたときの手当が厚かったんだと思います。給料だけじゃなくて、家賃手当やボーナスもあったり、福利厚生が充実してたから。

その後、バンドのメンバーが抜けてしまって、音楽活動が滞ってしまって。バンドは人がいないとできないものなので活動が進まない状況が続きました。

その頃、「この状況が続くんだったら、旅に行こう」と思い立ち、残りの貯金を使って、南米に1ヶ月行くことにしました。

── そのとき、カメラはすでに始めていたんですか。

塩川:
はい。看護師として働き始めてから一眼レフカメラを購入して、写真教室にも通っていました。

バンドのライブ撮影や、友だちの写真を撮影していたのが原点ですね。

撮った写真をあげて、人に喜んでもらえること。

それが、写真を始めたきっかけだと思っています。

南米から帰ってきたあと、またいろんなところを旅したりして、福岡で写真をやっていこうと決めた頃です。

写真家の青山裕企さんが「1年で独立させます!」とアシスタントの募集をしていました。

── 1年で独立。かなりスパルタじゃないと独立できなさそうな・・・。

塩川:
そうですね。その1年はアシスタントで入る日以外は看護師の仕事を入れていたので、休みはほとんどなかったです。

── 1年アシスタントとして過ごして、どういう気持ちで独立されたんですか。

塩川:
正直、不安しかなかったです。

アシスタントの経験を積めたといっても、上京して1年で人脈はほとんど無いようなものですし、営業も経験が無かったので、どうやって自分の存在を示して食っていけばいいのか不安でした・・・。

でも看護師免許を持っていたので、最悪食いっぱぐれないとも思っていたんです。

── 強い。

塩川さん2

塩川:
看護師の資格があったから、福岡から「写真家のアシスタントになる!」と、いきおいよく出てこられたのだと思います。

今は、独立してちょうど1年半くらい。

その間に写真展を行い、写真集を出させてもらえました。

写真展をして、とてもよかったなと思ったことがあるんですけど。

まず、自分の写真を客観視できること、そして人に見てもらっていろいろなことを感じてもらえるのが写真展ならではなんだな、と感じました。

自分の写真を客観的に見て、この『OASIS』という言葉が自分の旅を表しているように思えてきたんですよね。

塩川さん5「OASIS」

旅は非日常的なものですけど、でもそこにある時間は誰かの日常だったりします。

僕自身はこの2年間、非日常的な場所だった東京が、だんだん日常に変わっていきました。

その非日常が日常に移ろう時間の中で、心安らぐ瞬間をもとめて旅した軌跡が詰まっている。

いわゆる砂漠にあるオアシスという存在だけではなく心が安らげる場所という意味で、この写真集は『OASIS』というタイトルにしました。

節約のコツは、徹底的に値切ること

── 看護師として働いていた3年間の貯金はいくらくらい貯められたんですか。

塩川:
3年で退職金も合わせて、500万ちょっとです。

── かなり貯められましたね!

塩川:
節約家なんです(笑)。

食費はもちろん、旅費は必ず切り詰めますし、一番がんばったのは家賃交渉ですね。

駐車場も込みにしてほしい、とか。

そういう感じで値切って山口のときは、家賃は33,000円でした。

それも物件35,000円、駐車場5,000円の物件を値切って33,000円。

家賃の手当が半額あったので実質17,000円でした。

塩川さん4

── 安い! すごいですね(笑)。

塩川:
管理費の300円まで値切ろうとして「それはもう勘弁してくれ」って(笑)。

服が欲しかった学生時代は、モバオクやヤフオクを使って服を手に入れていましたね。

── そういうオークションサービスを使うとき、選ぶコツってあるんですか。

塩川:
いかに検索かけるか、ですかね。

英語名のブランドだったら、カタカナと英語で両方検索して、ソートをかけて安いところから見ていったり。

サイズの細かい記載が無ければ質問で聞いて送料も交渉して。

こういう節約は積極的にするんですけど、人と交流する交際費の部分は、お金がどうこうということはできるだけ発言しないようにしていました(笑)。

医学部学生は意外に上下関係があって、後輩だったときはご馳走してもらえていましたんです。

自分がいただいてきたものは後輩に返したいね、という思いがあったので、そこはあまり節約しなかったですね。

カメラで稼いだものはカメラに還元したい

── 作品はフィルムで撮られるそうですが、予算は多いほうがいいですよね。

塩川:
そうですね。僕が使っている中判カメラは、現像とかいろいろ含めると最低でも1シャッター200円くらいするんです(笑)。

── チェキより高いですね・・・。撮影のシャッターを押すときにためらいはありませんか?

塩川:
あんまりないですね。

フィルムを買うときはお金のこと考えますけど。

撮っているときはあまりお金のことは考えないですね。

代わりに2,000円台の夜行バスを使ったり。宿と交通費はめっちゃ節約します。

最初はゲストハウスなんて絶対泊まるの無理って思っていたんですよ。

大学の寮も2人部屋はイヤだから、1人部屋を探して入ったくらい。

でも世界を旅しているうちに、気づいたら克服してました。

塩川さん3

塩川:
もちろん、機材のお金はかかります。

機材メンテ代、新しい機材の購入、フィルムでの作品制作費。

だから、僕はできるだけ写真で稼いだお金は写真に還元していきたい思いがありますね。

正しいところに投資するということ

── お金に関することで、座右の銘はありますか。

塩川:
クライアントの仕事で福井に行ったときに教えてもらった言葉なのですが、ある職人さんが「お金は使った分だけ入ってくる」と言っていたそうなんです。

すごくカッコいいですよね。正しいところに投資できていたら、それがつながっていくんだろうな、と考えています。

投資だと思っていなくても、損得勘定で動かなくても、自分の思いに正しく投資できていたら、回り回って返ってくるんだろうなと。

写真展や旅がきっかけとなって仕事につながったり、自分がやりたいなと思ってやっていたことが、今、だんだんとつながってきているんです。

もちろんお金がかかった分、全部戻ってきているかというと、そうではない。

でも、つながった人脈や、得た写真の技術や感性は無駄になっていないと感じています。

自分自身を豊かにすることに関して、お金を使うべきなんです。それこそ旅とか。やりたいことをやってるだけかもしれないですけどね(笑)。

参考:塩川雄也  写真集 『OASIS』
参考:写真家 塩川雄也 ポートフォリオ サイト

【編集後記】インタビューした感想

塩川さん6

一見遠回りのようにみえた塩川さんのキャリアは自分の納得感のある投資として、すべてが現在の塩川さんにつながっていました。

「心安らげる場所を探して、旅をして、カメラを構えていたのだと思います」

ご自身の写真集『OASIS』の制作エピソードをそう語る塩川さんの表情は、とても満足気でした。

「自分自身を豊かにすることに関して、お金を使うべき」という塩川さんの言葉を聞くと、人生にムダなものなんて、きっと無いんだろうな、と思うのでした。

ノマド的節約術の裏話

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この記事を書いた人

コミュニケーションプランナー、ライター。次の70年に何をのこす?がコンセプトの「70seeds」編集部。1985年茨城県生まれ。昭和女子大卒業後、ダイヤモンド卸、Webクリエイティブ企業の管理部門を経て、PRプランナーを志す。主に、ローカル、ソーシャル、ものづくり、アート、VR等について執筆中。