寺院にはインフルエンサーが必要?発信する僧侶“寺院フルエンサー”とは

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寺院フルエンサー。

僧侶である稲田ズイキさん(@andymizuki)の提唱する概念・肩書きです。

稲田さんは京都のお寺で生まれ、現在は東京でライターや編集の仕事をしつつ、京都でお寺の副住職として、日々僧侶の仕事をしています。

現代では、本当に苦しい思いをしている人に仏教が届けられていないのではないかと考えた稲田さんは、時代に合ったお寺や僧侶のコンテンツの形を探している最中です。

僧侶はある意味では、信用が「お布施」という形で可視化されるお仕事。「それって、今の時代で言ったら、インフルエンサーなのでは?」というのが稲田さんの仮説。

「お寺にずっといて、来る人は来なさいってスタンスでなく、発信する側に回る」と語る稲田さんに、お寺に生まれたこと、独立して気づいたお金を稼ぐ大変さ、そして、寺院フルエンサーについて、聞いてきました。

稲田ズイキさんインタビュー

インタビュー日:2018年4月13日(金)

稲田ズイキさん1

ライターと住職は相性がいい

── 稲田さんは、つい先日までは会社員として働かれていたんですよね?

稲田:
そうですね。Webのメディア系の会社で働いていたんですけど、(2018年)4月からフリーランスになりました。

今はお寺の副住職として、新しい環境を自らつくって働いてみて、誰も経験していないことをやっていきたいと思っています。

現在は東京と京都のお寺を行き来する生活をしているのですが、京都ではお坊さんとしてお葬式をやったり、年中行事をやったりしながら、たまに東京に来て、ライターのお仕事をしています。

── ライターと住職ってまったく別の仕事だと感じるのですが、両立は大変ではないですか?

稲田:
僕は、ライターと僧侶って、すごく相性のいい職業だと思ってるんです。

たとえばライターのお仕事でインタビューをさせてもらうことがあるのですが、様々な感性を持った人と会えるし、いろいろなお話を聞かせてもらえます。

それは僧侶としても、多様な価値観を知らないことには他人の苦しみも理解できないので、インタビューを通していろいろな価値観を知れるのは自分の修行になるんです。

仏教的思想の気付き

── 会社を辞めてフリーになる際は、不安はなかったですか?

稲田:
不安はありました。ある日、朝会社に向かっていたら「一ヶ月後にはこういう生活じゃなくなるのか」って想像してしまって。

日常から「ベリベリ!」って切り離されていく感覚になったことがありました。

── ベリベリ?

稲田:
ベリベリって。

── どういう感覚なのかもう少し詳しく聞いてもいいですか。

稲田:
なんて言うんでしょう・・・。ちょっと説明しづらいのですが、その経験があって仏教的な思想にはっきり気付けました。

その日、そうやって不安を抱えたまま仕事を終えて、映画館で映画を観たんです。

現実と虚構が入り交じって、何が現実なのかよくわからないというお話だったのですが、観終わったときに僕も同じように現実と虚構の境目がわからなくなってしまって。

今までの人生の様々なシーンが頭の中に浮かんできて、これまで認識してた「俺はこのとき、こういう思いでこれをやった」といういろんな思いが全部「承認欲求を満たすために俺はやっていたんだ!」って、頭の中で記憶が全部書き換えられていきました。

人生は編集されたもの

── 瞑想というか、トランス状態というか・・・そんな感じでしょうか。

稲田:
僕、トランスしがちなんです(笑)。そのとき、やっぱり人生って編集物だなって思ったんですよ。

稲田さんのアイキャッチ

── 編集物?

稲田:
ひとつひとつの出来事が積み重なって、自分はこういう人間なんだと思い込みながら自分の人生をこれまで歩んできたんですけど。それって見方次第ですよね。勝手に僕が僕っていう人生を想定して、僕の人生を歩んできたに過ぎないんです。

逆に言えば、見方を変えれば今の人生ではない人生もあるって、そのとき気づけました。それは、自分の人生を自分で編集しているということですよね。

この考えはすごく仏教的です。簡略化して言ってしまうと仏教の思想って、「心の中には何もない、ここにあると自分たちが錯覚してるだけだ」ということなんです。

だから、苦しみが生じるのも、ある出来事に対して悲しいと僕らが認識してるだけなんだっていうのが仏教です。なんでも見方次第だとわかったので「何でもやったほうがいいや」という気持ちが強くなりましたね。

アニメやアイドルの映像でもトランスする

── トランスしがちだと仰ってましたが、トランス状態に入ることって、それ以前もあったってことですか?

稲田:
その日のように強くはなかったですけど、アニメとアイドルで近しい状況になったことはあります。

アニメがすごく好きで、観ているとめちゃくちゃ没頭してしまうんです。そっちの世界に入っちゃってんじゃないかというくらい集中して観ていて・・・。

で、終わった瞬間は、もちろん自分だけが現実にいるわけじゃないですか。そうすると「取り残されてさみしい」という感覚になるんです。

さみしげな稲田ズイキさん

── アイドルの場合は応援してるときですか? ライブ中とか。

稲田:
ライブも好きなんですけど、DVDで舞台裏やアイドルたちの日常を見るのがすごく好きなんです。ライブのときステージ裏でメンバー同士でしゃべっているとか。

仲間同士でキャッキャしてるのを見るのが好きで、そういう映像を見てるときに、そっちに行きたいなって感覚が常にあるんですよ。なんというか、魂が浮遊してるというか。

お寺生まれがいやだった

── 小さな頃から順にお金の価値観を聞かせてください。稲田さんはお寺のご出身で京都生まれ京都育ちとのことですが、いくつくらいのときに「うちはお寺なんだ」って認識したんでしょうか。

稲田:
子どもの頃はお寺って何をしているのかよくわからなかったので、受け入れられなくて、当時は家がお寺というのがいやでした。

お寺生まれの人は、全然そんなことなくてもお金持ちだと思われがちなんです。友だちに「家デカいな! 金持ちだな!」とよく言われていました。

だから、贅沢することがきらいな子どもでした。

小学生の頃から、お母さんがちょっと高いお菓子を買ってくると「なんでそんなの買ってくるんだ!」って怒ってました(笑)

笑う稲田ズイキさん

── あはは(笑)。変わってますね。質素倹約という意味では、僧侶っぽいなって思いました。

稲田:
そうかもしれないです。ちょっと高いお菓子と言っても、今思えばそうでもなくて。当時はなぜかどうしても許せなかったんですけど、それってカントリーマアムとかですよ(笑)。

独立してから気付いた、お金を稼ぐ大変さ

── 最初にお金を稼いだときのことって覚えてますか?

稲田:
小中高と、おこづかい制ではなくて、欲しいときに必要な分だけもらえる制でした。

ただ、さっきも言ったように贅沢をするのがいやだったので、よほど「これ!」と思ったものしか欲しいと言わなかったですね。ほとんどはお年玉をやりくりして生活していました。

だから最初にアルバイトして自分でお金を稼いだのは大学時代。ずっとスイミングのインストラクターをしてました。それと掛け持ちで、運送業者の倉庫で荷物を積み込むアルバイトや、家庭教師をやっていましたね。

── 当時は、お金を稼ぐのは大変だと感じていましたか?

稲田:
うーん・・・正直アルバイト時代はそんなに仕事が大変だったとか、辛いという気持ちはなかったです。

むしろ独立してから「人がひとり生きるのにめちゃくちゃお金かかるな」ってすごい実感しています。

保険や年金、税金とか、会社が払ってくれていたいろんなお金を、全部自分で支払いするわけじゃないですか。やっぱりお金を稼ぐのは大変だなって・・・まさに今月から感じてます(笑)。

今月からお金を稼ぐ厳しさをまさに感じている稲田ズイキさん

僧侶は「最後に会いたくなる人」を目指すべき

── 今後「こういう僧侶になりたい」という理想はありますか。

稲田:
僧侶って、人の最期にお葬式をやるじゃないですか。「葬式仏教」と揶揄されることもありますが、葬儀はれっきとした日本に定着したカルチャーで、大前提として、僧侶としてもその文化を伸ばして継続させていきたいと思っています。

ただ、そこに「宗教的な意味」を今の若者が見出すか?っていう疑問があるんです。

亡くなった人に最期のお別れをするためであったり、残された人たちが前を向くためであったり、そういう効果には共感できると思うんですけど、なかなか「儀礼」の話には共感できない。

「別に葬式ってお坊さん呼ぶ必要なくない?」みたいな。昨今でいう家族葬ですよね。

先日、ツイッターで4500ツイートくらいされて少し話題になったんですけど、アイドルが亡くなった自分のファンのために追悼ライブを開催したんです。

自分が亡くなってしまうときに、本当に会いたいのはそういう人たちだろうなって思いました。

僕もアイドルを追いかけていた経験があるのでわかるんですけど。ファンは、一心同体というか、アイドルと同じ時間を歩んでるんです。

アイドルだけでなく、人によってはミュージシャンだったり、アスリートだったり、お笑い芸人だったりしますよね。

つまり、関係性や愛着心が強い存在が、最期に会いたい人になるんだなって考えました。僧侶が目指す先も、そこだと思うんですよね。宗教的なフィルターを外した際にも、「この人に最期に会いたい」って思われる存在にならないといけない。

葬儀を僧侶がやることの価値を、儀礼的な文脈以外で伝えていく努力をしないと僧侶の社会的な価値が、どんどん無くなっていってしまうんじゃないかという危機感を持っています。

危機感について語る稲田ズイキさん

“寺院フルエンサー”という概念

── 「人生の最期に会いたい僧侶」になるために、具体的にはどうしていくんでしょう?

稲田:
お坊さんは、檀家さんや信徒さんとの間の信用で成り立っている職業です。

言ってしまえばお寺は、そもそものお金のいただき方がクラウドファンディング的じゃないですか。そこで僕は「寺院フルエンサー」っていう概念を提唱したいんです。

── えっ?

稲田:
寺院フルエンサーです。

── 寺院フルエンサー?

稲田:
寺院フルエンサーは、寺院とインフルエンサーを掛け合わせた造語なんですけど。

僧侶といえども食っていかないといけないんで、お金が必要なんですけど、お金をもらうためには自分のお寺の支援者、つまりファンが必要です。

その関係性って今の時代で言ったら、インフルエンサーなんじゃないかって。

さっきもお伝えした仏教の思想って、「苦しみをどう無くすか」なんですけど。僕は僧侶の役目は、苦しみに向き合うことだと思っているんです。苦しい人って世の中にいっぱいいるじゃないですか。

稲田ズイキさん、苦しい人ってたくさんいるじゃないですか

── いますね。

稲田:
そこに現状では、僧侶はアプローチできてないんです。だから、そういった人たちの苦しみを和らげたい、仏教を届けたい、というのは第一にあります。

今の時代は、仏教の届け方はお経とか、お寺に来てもらって法話をするとか、それがコンテンツのひとつの形式。でも、現代にもっと合ったコンテンツの形っていうのは絶対あると思っていて、それをちゃんと届けられる形をつくりたいです。

お寺にずっといて、来る人は来なさいってスタンスでなく、発信する側に回るとか。

たとえば、僕は昨年、檀家さんや地元を巻き込んで「寺主制作映画」と題したお寺ミュージカル映画を企画しました。

この作品では、僕演じる主人公の僧侶が、父演じる住職に「仏教はもっと自由だったはずだぜ!」という内容のラップバトルを挑んでいます。

参加型の企画でこういうストーリーにしたのは、地元の田舎に住む若い子たちの閉塞感を少しでも打ち抜ければという願いがありました。

参考:京都でお寺ミュージカル映画祭「テ・ラ・ランド」が開催へ 説法ラップバトルも展開するドープな“寺主制作映画”を上映

誰もが簡単にできることだとは思えないですけど、仏教の思想の根幹にある、根本原因を探して本質を見ていく考えを、僧侶自体が追求していったほうがいいんじゃないかと今は考えています。

僕自身が寺院フルエンサーになれるかわからないけど、ウェブで発信することやメディアと関わることで、そういうムーブメントをつくって、モデルケースをつくりたいです。

世の中に一人でも多くの寺院フルエンサーが増えればと思っています。

【編集後記】インタビューした感想

稲田ズイキさん編集後記

自分が死んでしまうときに、誰に会いたいのか……。

取材を終えてから、そんなことを考え出してしまいました。

既存の僧侶の仕事のやり方にとらわれず、あくまで宗教的なフィルターを外したときの本当に最期に会いたい存在としての僧侶になる。

寺院フルエンサーは、稲田さんがアニメやアイドルが好きだったからこそ気づいた、今の時代に必要と思われるお坊さんの新しい形です。

今はまだ始まったばかりですが、稲田ズイキさんの挑戦を、今後も応援していきたいと思います。

  • 稲田ズイキさんのツイッターアカウントはこちら
  • 稲田ズイキさんが編集を行う「DON’CRY(ドンクライ)」はこちら

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この記事を書いた人

くいしん

フリーの編集・ライター・PR。「灯台もと暮らし」編集部。1985年、神奈川県小田原市生まれ。高校卒業後、レコード店員、音楽雑誌編集者、webディレクター、web編集者を経て、個人事業主に。主にカルチャー、音楽、生き方、働き方、ローカル、暮らし、メディアについて執筆。

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