ラフォーレ原宿のすぐ裏道に、「the SAD cafe(サッドカフェ)」というカフェがあります。
そのカフェの店長であり経営者でもあるのが杉本薫さん。杉本さんが経営するこのサッドカフェは、筆者・小山内の元バイト先でもあります。
アルバイトに採用された当初、18歳だった私に杉本さんは「とにかく楽しくやればいいから」という言葉をくれました。
そんなサッドカフェ、店内には80’sロックの音楽が流れ、アメリカンなフィギュアが100体以上並びます。これにはオーナーである杉本さんの趣味が大きく反映されているとのこと。
もともと三重県で生まれ、地元の紡績工場に勤めていた杉本さん。
上京してワーキングホリデーを経験し、そこから地元でお店を開業、その後にサッドカフェのオーナーになるという経歴です。
杉本さんはどうして原宿で海外をコンセプトにしたお店をやるようになったのでしょう?
その経緯をなぞりながら、飲食店の経営者としてお金に対してどんな考え方を持っているのかお伺いしました。
杉本薫さんインタビュー
インタビュー日:2017年6月13日(火)
80’sの入り口は、みんなが知らないものだったから
── 今回、初めてノマド的節約術で記事を書かせてもらえることになって、「誰にお金のことを聞いてみたいか」を考えたとき元バイト先のオーナーである杉本さんの顔を思い浮かべました。
杉本:
俺なんかでいいの?って思ったけどね(笑)。みきと出会ったのは、もう3年も前だっけ。
── そうですね! 2年ほどバイトとして雇ってもらいましたけど、杉本さんご自身のことは実はあまり知らないことが多くて。なのでまず、簡単な自己紹介をしていただきたいです。
杉本:
1973年生まれで、今年で44歳になりました。生まれも育ちも三重県志摩市、高校卒業後は地元の企業に就職して・・・現在は渋谷区に住んでいます。
20代の半ばに上京してきて、その後オーストラリアへのワーキングホリデーを1年弱しました。
帰国後は地元で個人経営のお店を展開したのち、今はサッドカフェの店長兼オーナーをやっています。
── サッドカフェは経営者として2つ目のお店なんですね。お店のコンセプトで杉本さんが愛する「80’s」のルーツはなんなのか、そして杉本さんのお金に対する考えについて順番にお聞きしたいです。子供の頃はどんな少年時代をお過ごしでしたか?
杉本:
小学生の頃からアウトドア派の反面、みんなとは違う趣味を持っていた自覚はあります。
休みの日は野球をして泥だらけで帰ってくるような運動小僧だったけど、その当時から洋楽も好きでした。
── どうして洋楽に興味を持ち始めたのでしょう?
杉本:
たぶん小学生の頃、遊んでもらってたお姉ちゃんの影響ですね。
俺の家は両親二人とも共働きで兄弟もいなかったから、小さい頃から血も繋がらないおばあちゃんの家にあずけられてたんだよね。
そこのお姉ちゃんに小学校4年生の時、「遠足に行くから音楽貸して」って言ったの。そこで貸してもらったのがたしかカルチャー・クラブというバンドのアルバム。
それを遠足のとき、お菓子の箱に忍ばせて聞いてた記憶があります(笑)。
意味とかわからないんだよ、でも「みんなが知らない、しかも英語の曲を聴いてる俺ってなんかカッコいい」って思って聴いてました。
── じゃあお小遣いの使い道もCDだったりしたんですか?
杉本:
うん、でもまだ当時はカセットテープ。
洋楽からは音楽だけじゃなくて、海外に対する憧れも膨らませられたから、洋画も見るようになったんだよね。
俺が小学校5、6年生の頃、家にビデオデッキがやってきました。
当時は家の近くにレンタルビデオ屋さんがなかったんだけど、電気屋さんでビデオをレンタルすることができて、洋画を借りて観てたんですよ。
そのすぐあとにレンタルレコード屋さんができたときは、レコードを借りてカセットにダビングして、テープが擦り切れるまで聴いてた。
その頃、周りの友達はみんなファミコンとかゲームのソフトを親にねだっていたけど、俺は「レコードプレーヤーが欲しい」って頼み込んで買ってもらった記憶があります。
── 欲しいモノが周りとは違ったんですね。お年玉の使い方とかで覚えていることはありますか?
杉本:
記憶にあるのは中学生のとき、伊勢まで電車で1時間かけて洋服を買いに行っていたことかな。
その頃は、うちらの感覚では伊勢が都会だったから。
お年玉は服とか、音楽につぎ込んでいたイメージがあります。お金の使い方で記憶にあるのは、親のお金をちょろまかしていた記憶かな。
── ちょろまかす(笑)。
杉本:
中学まで野球部だったんだけど、親からもらった昼食代を使わずに我慢して、自分のお小遣いにしてました(笑)。
中学生って稼ぐことができないじゃん。だから、どうやってお金を貯めるかみたいなことととか、自分の好きな音楽をどうやったら安く聴けるか工夫をしてました。
── 音楽はどうやって安く聴いていたんですか?
杉本:
割り勘。なんとか安く、いろんな音楽を聴きたいから仲間を集めて、みんなでお金を出し合ってレコードを借りるんです。
一枚借りれば全員でダビングできるわけじゃん。だからみんなでお金を出し合って1000円分くらい借りて、家に集まってダビングするみたいなね。
結婚した途端にお金がなくなった
杉本:
それで俺、高校の頃は自分でバンドをやりだすんだよね。
── とうとう、自分が音楽をやり始めるんですね。それはプロを目指す、とかを目標に?
杉本:
全然、バンドは青春の思い出作り。
ただ、その当時パンクブームで俺もパンクバンドをやっていたんだけど、ずっと好きで聴いてきた音楽はハードロックだったんだよね。
だからバンドが解散したあと、何年振りかにハードロックを聴いたときは、もうリアルタイムで洋楽を追えなくなるくらい昔のハードロックにのめり込んだよね。
── 離れていたぶん、愛着が湧いちゃったんですね。高校卒業後は、そのまま就職ですよね。
杉本:
うん、俺は工業高校だったし、とにかくすぐにお金が欲しいって思っていたからすぐ就職したんだ。
それもどうやって決めたかというと、「女の子が多かったから」っていう理由で就職先を決めてさ。
工業高校の時は女の子が全然いなくて入学して3日で後悔したから(笑)。
── なるほど(笑)。新卒でなんのお仕事をされていたんですか?
杉本:
紡績工場のウール事業本部っていうところで検品の仕事をしてました。
オーストラリアからの羊の毛を糸にする工場だったんだけど、その糸の検品です。
その会社では6、7年働いたんだけど、人生で一番いろいろあった時期だと思う。車も買ったし、結婚もした。
── 車はいつ買ったんですか?
杉本:
19歳のとき。
200万円のゴールドのスポーツカー。中古だけど(笑)。
でもそれが人生で一番高い買い物かな。
── 19歳でですか!
杉本:
カッコつけたかったんだよね、女の子にちやほやされたかった。5年でローンを組んで、月何万円か返して、返し終わる頃に結婚をしました。
── ご結婚はおいくつの時に?
杉本:
結婚したのは23歳のとき。
同じ職場の人で、もう離婚しちゃったんだけど。
結婚してから、お金が全然使えなくなった記憶があるかな。小遣い2万円でやりくりをしてました。
── また中学生時代のようにいかに安く買うかを考える生活だったんですね。
杉本:
ほんとほんと。
元奥さんはちょっとお金づかいが荒いひとで・・・俺とはお金の価値観が合わなかったんだよね。
結婚してからもう2、3年で夫婦仲に亀裂が入っていて、東京に出てきたときはすぐ別居しました。
別居してるんだけど、実家に帰るときは駅で待ち合わせして、家に帰ってお互いの実家に泊まって、東京に帰ってきて駅で別れるみたいなことまでして。
なんやかんやで結婚生活は十何年続けたかな。もう、スーパー仮面夫婦だよね(笑)。
── 杉本さんはどうして東京に上京を決めたのですか?
杉本:
23歳くらいのときかな。
トム・クルーズの『カクテル』という映画があるんだけど、それを見てバーテンダーをやりたいと思っちゃいました。
それでいつかはお店を出したいと思うようになった。
紡績工場に就職を決めた10代の頃は自分がまだ見えてなかったけど、23歳くらいのタイミングで目標が定まってきたわけ。
しかも、ちょうどその時勤めていた会社の経営が傾いてて退職金を300万円くらいもらえたんだよね。
だからもうそれを元手に東京に出てきて、バーテンダースクールに通い始めました。
── 上京したのはバーテンダースクールに通うためだったんですね。
杉本:
バーテンダースクールに通いながらバイトもしてた。
でも、なんせ元奥さんも一緒に来るわけだからさ、あっちは東京にきた途端にはじけちゃって。
300万円あった貯金が半年後には50万になっちゃったんだよね。
それで俺ももう「別居しよう」って思って、結局は俺が出て行くことにしました。
通帳も、家も、全部相手に預けて俺はゼロ円で出ていった。
── ゼロ円で・・・。
杉本:
そのときはもうサッドカフェでバーテンダーとして働いていたから給料ももらっていたんだけどね。
でも俺、別れてからすごく記憶にあるのが、最初に給料18万円ほどを手取りでもらったとき、「すごくお金がある!」って感動したんだよね。
それで、こんなにたくさん自由なお金があるって思ったら、今度は自分に投資しようって思うようになったんです。
楽しく働きたいんだと納得した
── 何に投資したんですか?
杉本:
英会話教室。
その英会話教室に通い出したときからワーキングホリデーにも目をつけてて、ワーキングホリデーに行くためにお金を貯めてました。
そのときも、23歳のときに思った「自分の店を出したい」という思いはちゃんとありつつ、いろんな経験をしてみたいという気持ちもあったんだよね。
それで30歳の時にオーストラリアにワーキングホリデーに行って、実際に向こうで語学学校通いながらイタリアンレストランで働きました。それが本当にいい経験だったかな。
── オーストラリアから帰国してから、お店を出されるんですよね?
杉本:
帰国して、「地元で店を出したい」っていう思いがあったからまたサッドカフェで400万円くらい貯めたんだよね。
── 400万。どのくらいの期間で貯めたんですか?
杉本:
3年間。家と職場を往復するような生活でがむしゃらに働いてた。
なるべく借金しないで店を出したいっていうのがあったから、月に10万円ほどコツコツと貯めました。
それで35歳の頃、地元で店は出せたんだけど「なんか面白くないな」って思っちゃって。
なんかまた東京で働きたいなって思ったんだよね。
東京でもう一回勉強をしたいなと思ったときに、サッドカフェの社長からお声がかかったの。
「うちで働けよ」って。
── 何度もサッドカフェに引き戻されますね。
杉本:
うん。だから、サッドカフェでバイトをしながら三重の自分の店の経営もしてた(笑)。
店長を任せている子がいたからその子に運営してもらって、お店自体は5年くらい続けたかな。
── 二足のわらじだったんですね。そこから杉本さんはサッドカフェの店長に?
杉本:
そうそう、ちょうど4年くらい前かな。
サッドカフェは移転して今の場所にあるんだけど。
移転のタイミングで前の社長が「サッドカフェをやってみないか?」という話をくれて、今は自分が経営者としてこのお店をやっています。
── お店のコンセプトである「アメリカン」や「80’s」は杉本さんの子供の頃からの趣味が反映されているんですよね。店内のフィギュアもご自身で購入されたとか。
杉本:
フィギュアは、サッドカフェでオーナーをやる前から「自分で店をやるときに飾ろう」と思って集めていた感じかな。
やっぱりやるなら楽しくやりたいからね。
たぶん俺さ、経営者向きではないと思うんだよね。自分の趣味とか反映させすぎちゃうのはビジネス的によくないとも思う。
でもそれじゃいやだなって思う自分もいて、そこでやっぱり俺はお金持ちになりたいんじゃなくて自分の人生を楽しく生きていきたいっていうのが大きいんだなって思った。
ただ、経営者だからみんなを養っていかないといけないし、自分も生活していかないといけない。
そこはバランスだよね。だからとにかく無駄遣いはしない。そうそう、この歳になって1日1円も使わない生活が週の半分以上だったりします。
── へぇー! お店の食材が使えるからって意味ですよね。じゃあ今減らしていきたい出費は特にないですか?
杉本:
そうですね・・・ないかな(笑)。週に1回外食したりとか、映画を観に行ったりとか、そういうのもあんまりないし。今の若い子たちよりお金を使ってない気がします。
畑違いなことにも乗り換えられるよう、身軽にしておきたい
── ワーキングホリデーやお店を開業したときのように、今後何かに投資したいとかそのためにお金を貯めておきたいという思いはあったりしますか?
杉本:
今後かぁ、ずっとこの仕事をやっていくのかっていうとわかんないよね。
実は、今ちょうど自分の人生の中で転換期なのかなって思っている時期でもあります。
もともとお店を出したいという夢があって、それが叶って、毎日楽しいこともあればそうじゃないこともあるけど、でも仕事に行きたくないなんて思ったことは一回もないんだよね。
そういう状態が3、4年継続中だから、今は落ち着いていると思う。だから余計に「今後のことを考えないとな」って、特に今年度あたりから思っていました。
── 落ち着いているからこそ、先が読めないということですか?
杉本:
読めない不安みたいなものはいつもあるんです。でもそれが楽しいというか。
なんかまた、おもしろいことがあったらまったく畑違いなことでも挑戦していいかなと思っているんだよね。
だからなるべく身軽にしておきたいって思います。
── 不安な状況でも楽しいって気持ちが同居するのは、すごいことですよね。
杉本:
周りを見ていると、この歳になると老後のことを考えて不安になる人が多いけど。それを考えることは不安を煽るだけじゃんって思うんだよね。
考え過ぎないのもダメだってわかるけど。でも基本的には、明日地球が終わっても、明日交通事故にあっても後悔しない生き方をしたいなって思ってる。
── それは、杉本さん的にはどんな生き方なんですか?
杉本:
楽しみながら生きていくことじゃないかな。
楽しみながらお金を稼ぐって難しいことだけど、休みも少ない仕事だからこそ、この仕事に楽しみを見出したいと思ってやっているよね。
── ああ、私このサッドカフェで最初バイトとして雇ってもらっときに杉本さんに「楽しくやってくれればいい」って言われたこと、今思い出しました。
杉本:
そうだよね。たとえ社員じゃなくてバイトでも、やるなら楽しくなきゃ意味がないと思っているから。
せっかく一緒にやるんだったら、バイトの子も社員も関係なく一緒に楽しくやってもらうことが一番だと思っています。
俺ももうこんな歳だから、18、9歳で雇った子が成長していくのを見るのもまた楽しみなところは大きいし。
「成人しました」とか「就職が決まりました」とか。
自分自身は今、結婚もしてなくて土日休みじゃなくて、長期で遠くに行くこともできない。
そこらへんの楽しみがないぶん、逆に仕事からたくさん楽しみをもらっているっていうのはすごくあるかなって思います。
編集後記
いつも楽しいこと・面白そうなことを優先して行動してきた杉本さん。
そのための貯金や仕事のコツコツと積み上げた努力を惜しまなかったエピソードが印象的でした。
オーナーを務めるサッドカフェに、ワーキングホリデー後も、三重でお店を開業した後も、人の縁で舞い戻ってきたと語る杉本さん。
とてもエネルギッシュな杉本さんだからこそ、何度もこの原宿という街や人々に呼び戻されたのかな、と思います。
また、「休みがたくさんないからこそ、仕事に楽しみを見出したい」というお話は、これから社会に出る学生が身を持って考えるべきテーマかもしれないと思いました。
働く上での優先順位は、頭で考えても、いざその生活が始まってみたときに気づくことは、杉本さんのように変わってくると思うからです。
私自身これから社会人として生きていく上で、お金が大切なのか、休みが大切なのか、楽しい気持ちが大切なのか、その優先順位を働きながら模索していきたいと思います。