日本・アジア・中南米・アフリカを渡り歩いている僕が、いま家を欲しい理由|宮﨑大輔さん

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一つの場所にずっと留まって暮らすのではなく、いろいろな場所を転々としながら生業を持つ暮らし方ができたなら。

そんなことに一抹の憧れがある私・立花は、「JIBURi.com」というブログを運営するブロガーでありカメラマン、さらには農業コンサルタントの宮﨑大輔さんとお会いするのをとても楽しみにしていました。

日本・アジア・中南米・アフリカを飛び回っている宮﨑さんが、偶然日本に帰国しているタイミングをキャッチできたため、取材を敢行。

終始穏やかな口調でお話されていましたが、宮﨑さんから飛び出すトピックや話題は、聞いているこちらが興味をそそられることばかりでした。

宮﨑大輔さんインタビュー

インタビュー日:2016年11月29日

宮﨑大輔さん

肩書きは“イチゴソムリエ”。農業に興味を持ったきっかけは?

── 宮﨑さんは、この「ノマド的節約術」を運営されている松本さんとお知り合いなのですよね。

宮﨑大輔(以下、宮﨑):
ブロフェスというイベントで、松本さんに初めてお会いしました。僕と同世代のブロガーたちの間では、松本さんは憧れなんです。

── 宮﨑さんは、日本と海外を行ったり来たりされているそうですが、日本にはどれくらいの頻度で帰国されるんですか?

宮﨑:
1年のうち3回くらい帰国しますね、1ヶ月ずつくらいです。

── お仕事内容も、かなり幅広いですよね。

宮﨑:
農業分野のコンサルティングを個人事業主として行っているのが、メインの仕事ですね。あとは、ブログなどの広告収入やライティングのお仕事などです。

── 農業のコンサルというのは海外が中心なんでしょうか。

宮﨑:
日本と海外の両方ですね。時々トマト農家さんもあるんですが、ほぼイチゴ農家さん。だから僕の収入源は、今はイチゴです(笑)。

── 今のお仕事に至るまでを教えてください。

宮﨑:
僕は長野県飯田市出身なのですが、長野の中では名古屋に近い南の地域なんです。だから文化圏とか方言も、名古屋風の場所で育ちました。

農業自体は、両親が兼業農家だったこともあり、昔から農業には関心があって。僕が子供の頃は、リンゴや野菜を育てている畑で遊びまわっていました。

── じゃあ、昔から農業に携わりたいと思っていたんですか?

宮﨑:
はい。大学院に進学したんですが、卒業後はイチゴ農家になろうとずっと思っていたんです。

農業が好きで、信州大学の農学部に入りました。1年生の間は松本市で、2年生以降は学部ごとにキャンパスがバラバラになる大学なんです。だから2年生以降は、南箕輪村という場所で学生時代を過ごしました。

最初は、リンゴの研究をやろうと思っていたんですけど、大学では白衣を着てDNAの解析とか研究をやるような勉強しかできなくて。でも僕は畑に入って現場で研究をやりたかったんです。

── 実際に手を動かしたかったと。

宮﨑:
そうです。リンゴの研究は研究室にこもりっきりな感じだったから、どうしようかなって迷っていた時に、同じ大学内でイチゴの研究をしている教授がいて、そちらは現場での研究が主だったこともあり、イチゴを選びました。

今では“イチゴソムリエ”という肩書きを名乗っています。6年間勉強をしたおかげで、イチゴのヘタを見ただけで品種が分かるようになりました。

── すごいですね! イチゴソムリエというのも、キャッチーです。

全員リンゴ農家という環境で、リンゴジュースを売るにはどうすればいい?

── イチゴ農家になりたかったけれど青年海外協力隊になったというのは、どういう経緯があるのでしょうか。

宮﨑:
大学院生の時、たまたま青年海外協力隊になりたいという女性と出会って、初めて協力隊の存在を知りました。

最初はアンチ海外だったんですけどね(笑)。

── そうなんですか?

宮﨑:
アンチ海外というと、語弊があるかもしれませんが・・・。

にわか海外好きみたいになるのが嫌だったという気持ちがあったんです。自分もそういう“海外好き”として一括りになるのは不本意だったので、大学生の頃にインドに一人旅に行ってみました。

そうしたら、思い通りに行かないこともたくさんあったんですけど海外のおもしろさを体感して、青年海外協力隊もやってみたいという気持ちが大きくなっていきました。

── 実際に海外へ行こうと決めた、その決め手は何だったんですか?

宮﨑:
基本的に、都会より田舎が好きなんですね。大学生時代に知り合った方の影響で、地域おこし協力隊になりたいなって思っていたくらいで。

でも考えてみたら、地域おこし協力隊より青年海外協力隊のほうが、人も物ももっと少ない田舎で活動するんじゃないかって思ったんです。仕事内容も、地域おこし協力隊の海外版のようだと思うと、より興味が出てきて。

当時の僕にとっては、誰も知らない場所に入って活動するのは、すごくチャレンジングなことだったし、やってみたくなりました。

── そうして新卒で青年海外協力隊になるんですね。

宮﨑:
はい。卒業と同時に訓練を受けて、海外へ行きました。

協力隊の任期は2年間なんですが、任期が終わったら何をしても良いんです。就職とか進学する人もいる中で、僕は個人事業主になりました。

── 独立してすぐに仕事が来る状態だったんですね。

宮﨑:
そうです。協力隊員として活動している間にも、イチゴ農家さんや農業に関する仕事のお手伝いはしていました。

協力隊の任期中は、お金を稼いではいけないのでボランティアとして、でしたが。

独立後は協力隊時代に問い合わせをいただいた企業から、仕事を請け負っていったという感じです。

海外に滞在する時は、完全に仕事として行くこともありますし、個人の旅行として旅をする時に「そこに行くなら、あの農家さんのところへ行って来て」と言われることもあります。

農業は立派なビジネスになるということを証明したかった

宮﨑大輔さん

── 自分でビジネスをやろうという気持ちは昔からあったんですか?

宮﨑:
うちの実家の近くは、うちを含めてほぼみんなリンゴ農家なんですよね。だから家族が作っているリンゴジュースも全然売れなくて。

でも、だからこそ「これを売れるようにするのはおもしろそうだな」と思って、母が育てたリンゴを買い取ってジュースにして、デザイナーさんにラベルと手ぬぐいをお願いして、東京のイベントで販売したことがありました。

通常の価格の4倍くらいの、1本1,890円で販売したんですが、3ヶ月で200本完売して。それが僕にとっては自分の初めてのビジネスをしたという経験になりました。

── なるほど。じゃあ農家になりたいという思いと並行して、自分で商いをするということにも興味はあったんですか?

宮﨑:
そうですね。実は、農家になるって言ったら、親にはすごく反対されたんです。農業なんて儲からないから止めろって。

── ご実家も農業をやっていたのに?

宮﨑:
うちは兼業農家で、父はサラリーマンをやりつつ農業もやっていたので、本業が別にあったんです。

僕は次男ということもあって、小さいころから好きなことをやらせてもらっていたんですが、「農家にだけはなるな」と言われていたんです。

── 親御さん的には、「なぜあれほど口酸っぱく言ってきたのに、それを選ぶんだ」って思ったかもしれませんね。

宮﨑:
だからこそ、農業をきちんとビジネスとしてお金を稼げるようなものにしなければ、という思いが芽生えていきました。

── じゃあ今の仕事は、昔からやりたかったことの延長にあるんですね。今はご自身が農家をやりたいとは思わないですか?

宮﨑:
そうですね。イチゴのビジネスをしている会社向けにコンサルティングの仕事はしていますが、自分がイチゴ農家になりたいとは思わないです。

── それは何故ですか?

宮﨑:
元手が数千万円だという資金面のことや能力的なことを考えたり、旅行に行けなくなったりすることを考えると、農家として生計を立てるよりもコンサル側になった方が生計を立てられるかなと思って。

子供の頃から給料制ではなかった

── 宮﨑さんの子供時代のことも、少しお伺いさせてください。小さい頃、お小遣いをもらったり貯金をしたりはしていましたか?

宮﨑:
うちは、お小遣い制ではなかったんですよね。

お正月にもらったお年玉を自分で管理して、それををうまくやりくりしていたんです。

その頃から定期的な収入はなかったですね、そういえば(笑)。

── 子供にとっての毎月のお小遣いはサラリー(月給)だと考えると、確かにそうですね。アルバイトはしていたんですか?

宮﨑:
高校だとアルバイトはしてはいけなかったので何もしていなかったです。高校生になっても、特にお小遣い制ではなかったですね。

── でも欲しいものがある時とかは、どうするんですか?

宮﨑:
必要があれば親に頼んで買ってもらうか、お金をもらって自分で買うか、でしたね。部活がテニス部だったんですけど、部活ばかりやっていたので、あんまり遊ぶ時間もなかったから、お金も必要なかったのかもしれません。

── 大学生時代はどうですか?

宮﨑:
大学時代は、サークルもバイトもやっていました。サークルはテニスやサッカーとかいろいろやりましたねぇ。

バイトは、週末にイベントスタッフとか携帯電話を売る仕事をしていましたね。あとお寿司屋さんのバイトは頑張っていました。

── バイトの経験が今の仕事につながっている部分は、何かありますか。

宮﨑:
お寿司屋さんでのバイト時代に調理師免許を取得できたので、それが旅先や農業の仕事で役に立つこともあります。

そのお寿司屋さんは、結構厳しくて、いわゆる“頑固親父”みたいな大将がいるお店だったんです。接客とか皿洗いをしたり、あら汁を取ったりはしたんですけど、寿司だけは握らせてくれなくて。

バイトもあんまり長続きしない人が多くて、僕もキツくて毎日辞めたいと思いながら、なんだかんだ5年間続けていました。

── キツくても続けられた理由は何だったんですか?

宮﨑:
ある日、お店の外国人のお客さんが来たんですよ。で、僕が「ヤバい、大将はぜったい英語しゃべれないから接客がんばらなくちゃ」と思っていたら、大将がむちゃくちゃ英語ペラペラだったんです。

── ギャップ萌えですね。

宮﨑:
で、どうしてなのか奥さんに聞いたら「あの人、若い頃世界を放浪してたの。だから英語しゃべれるのよ」って教えてくれて。

本当に厳しくてバイトを辞めたかったこともあったけれど、そのことがあってから大将を見直して、バイトを続けられるきっかけになりました。

理想の暮らしができている今、欲しいもの

── 今後は何をしていきたいと考えていますか。

宮﨑:
そうですね……どうしようかなと、次の一手を悩み中です。

ただ、今はカメラがすごく楽しいので、今の時間をカメラに費やしたいし、カメラが仕事につながるといいなと思っています。

あとはウェブの仕事は増やしたいなとは考えていますね。

── イチゴの仕事は拡大しようとは思わないんですか?

宮﨑:
そうですね……自分から積極的に営業をしたいというよりは、今は、現状いただいているお仕事をしっかりやりたいなという感じです。

── 宮﨑さんとしては理想の暮らしって、どういう日々の過ごし方なんですか?

宮﨑:
今は楽しく仕事ができていて、そこそこ働いてそこそこ稼げているので、今が一番良い、理想に近い暮らし方かもしれません。

── じゃあ欲しいものとか、お金持ちになりたいという欲も特にないんですか?

宮﨑:
カメラは新しいのが欲しいですね。今日もこの取材に来る前に、サブ機が欲しくて一眼レフをずっと見て回っていました。

買おうかどうしようかすごく迷っていて・・・。

── 今までは何にお金を使っていたんですか?

宮﨑:
旅行かな。僕は会社に雇われたり、サラリーマンになったりしたことがないから、金銭感覚が大学生のままなんですよね、きっと。

── というと?

宮﨑:
サラリーマンの人って、月に20万円とか30万円とかもらっていると思うんですけど、協力隊では月4万円くらい支給されるだけなので、会社勤めから協力隊になった人はお金がなくて苦しむことが多いんです。

でも僕は大学生の頃からそんなに変わらなかったので、特に抵抗がなくて。

── 物欲も、お金が欲しいということもなくて、今が理想の暮らしなら、宮﨑さんの欲はどこにあるんですか? モチベーションというか・・・。

宮﨑:
欲かあ・・・。

── 誰かに認められたいという欲はあるんですか。

宮﨑:
うーん、「モテたい」が一番の欲求ですかね。

── 「モテたい」!

宮﨑:
知らない人に「スゴい!」って褒められてもべつになんとも思わないんですけど、好きな女の子とかに言われたら嬉しいじゃないですか。

── 結婚したいとか子供が欲しいとは思うんですか。

宮﨑:
思いますね。そのためにも彼女が欲しいです。

一年ほど前に彼女がいたんですが、フラれてしまって。その原因を考えたときに、僕があまりにもお金を稼いでいなかったことが原因なんじゃないかと思ったんです。

── 協力隊を終えた、無職の時ということですね。

宮﨑:
それがちゃんと仕事をして、お金を稼がなくちゃ好きな人が離れてしまうんだな、と反省してモチベーションになっているかもしれません。

── 「モテたい」という欲求は、真理かもしれません。

宮﨑:
そういう欲求もあってか僕、最近すごくTwitterをがんばろうと思っていて。

── でももうすでに7000人くらいフォロワーいらっしゃいますよね?

宮﨑:
年内にフォロワー1万人を目指しているんですよ。最近はいつも「バズれ!」と願いをこめてブログとかを書いています。

── どうしてTwitterなんですか?

宮﨑:
ブロフェスに参加した時に、Twitterに力を入れているひとたちがいて。カツセ(マサヒコ)さんとか、超モテてて、イイなあって思ったんです。

── なるほど(笑)。カツセさんはSNS発信で人気を集めている象徴的な存在ですよね。

宮﨑:
モテているだけじゃなくて、他にも豆知識でたくさんフォロワーやファンを持っている人もいて、僕もTwitterをもっとがんばりたいなと思ったんです。

Twitterをがんばりたい、もう一つの理由は、影響力を持ちたいと大学生の頃から考えているからかもしれません。何かをやりたいと思った時に、人脈とかお金とか集められるようになりたい。

僕がやりたいことを発信したときに、その声をちゃんと届けたいと思っています。

── 影響力を持って、その先に何かしたいことがあるんですか?

宮﨑:
自分がイイと思うものってあるじゃないですか。それを広めたいというか。

僕の性格的に、ちょっと独裁者的な感覚があるのかもしれません。

── ふんふん。

宮﨑:
自分の好きなように世界を変えたいという感覚があって、そのために影響力を持ちたいんです。

── それは好きなものを広めたいという気持ちと、イヤだから変えたいという感覚だとどちらが強いんですか?

宮﨑:
些細なことで考え方や価値観が違うと、イラっとすることって誰しもあるじゃないですか。そういう時に「こうなんじゃない?」「もっとこういうのがイイんじゃない?」っていうのを伝えたい。で、それに共感してくれる人が周りに集まってきてほしいですね。

── 自分と似た感覚の人を集めたいんですか? それとも違う価値観を持つ人も巻き込んでいきたいですか?

宮﨑:
ぶっちゃけると、僕の考えを(周りに)押し付けたいんですよ、正直(笑)。でもそれが叶わないなら、関わらずにいくしかないかなって思います。

── でも海外に行けば、押し付けられることも多いし、押し付けても分かり合えないことなんてしょっちゅうじゃないですか?

宮﨑:
だからもうホント、喧嘩ですよ(笑)。そういう意味では、まだ日本は快適だと思いますけどね。

宮﨑大輔さん

宮﨑:
あ、あと欲しいもの、ありました。

最近は家がほしいなって思います(笑)。日本での時間を増やしたくて。

── えっ、今は家がないんですか?

宮﨑:
一年のほとんど日本にいないから、家がなくても成り立っているんですよね。でもずっと実家にいるのもつまらなくて、好きじゃなかった東京も、最近は「いいな」と思うようになってきたから、都内に家があったらいいなぁと。

今までは家を持つことの優先順位が低かったんですけどね。

── 日本での時間を増やしたいと思ったのはどうしてなんですか?

宮﨑:
転々としすぎると、彼女ができないんですよ(笑)。僕、外国人女性も好きなんですけど、結婚するなら日本人女性がいいなと思ったんです。そうすると、やっぱりどこかに拠点を置いた方がいいなと思うようになりました。

あとは、もうちょっと日本に長く滞在する仕事の仕方に変えたいなって思うようになったからです。働き方を変えたくて。

── でも、家がなくても仕事には支障はないんですよね?

宮﨑:
はい。仕事はネット環境があればできるので、メールとかチャットが使えて現場に行けさえすれば問題ないんです。

必要なものだけバックパックに入れておけばいいので……でも家って便利だなって思います。

── まさにノマドですね。

宮﨑:
そうですね(笑)。憧れてやってみたんですけど、そろそろちょっと落ち着きたいなと。

── その生活をどれくらい続けてきたんですか?

宮﨑:
協力隊の期間を含めると、今までで4年間くらいですかね。協力隊の2年間は中米のパナマという国の、大家族の家にホームステイしていたので、住む家はあったんですけど。

── 宮﨑さんは何かを始めたり、新しいことをしたりする時の行動に移す決め手になることって、何かあるんですか? それとも感覚で動く派ですか?

宮﨑:
うーん、僕自身は石橋を叩いて渡る派だと思っているんですけどね。

── 今のご自身のような働き方や仕事をしているとは、想像もつかなかったですか。

宮﨑:
まったく思っていなかったですね。30までに起業しようとは、漠然と学生の時から思ってはいたんですけど。農業だってビジネスだってことを証明したかったから、だったらビジネスのこともちゃんと理解できるようになろうと思ってはいました。

・・・今、聞かれて思いましたけど、もしかしたら僕、そんなに見通しを立てて動くタイプではないかもしれないです(笑)。

── そうなんですか。

宮﨑:
よく「何かを決める時、逆算して考えなさい」と言う人もいると思うんですけど、僕はあんまりその考え方が好きじゃないというか、できなくて。

ビジョンがありますかと聞かれると、「ないです」と答えます。自分がおもしろいと思ったことをしたい。そのおもしろいものというのが、いわゆる爆笑できるものとかではなくて、僕自身が興味深いと思うことをつきつめたいんです。

それを一緒におもしろいと言ってくれる人たちと感覚を共有できたらいいなと思っています。

【編集後記】インタビューした感想

宮﨑さんのブログに、こんな一文を見つけました。

世の中の流行や他人の評価に流されず、自分の気持ちに素直に行動すると、世界は変わる。
また、逆に考えると「世界を変えたかったら、自分の気持ちに素直に生きろ。」とも言える。(なぜ青年海外協力隊になったのか?世界を変えるためにすべきたった一つのコト。|JIBURi.comより)

インタビューの最後、感覚で動いているかもしれない、という話がちらりと出ましたが、「自分の気持ちに正直に」ということに関しては初志貫徹されているのだなと改めて実感する一文でした。

このインタビューが公開される頃、宮﨑さんはパナマにいらっしゃいます。
地球の裏側で、どんなことを仕掛けるのか、今後の活躍も楽しみですね。

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この記事を書いた人

立花 実咲

1991年生まれ、静岡県出身の編集者。これからの暮らしを考えるメディア「灯台もと暮らし」の執筆、編集を担当。いつか書道教室をひらくのが夢。

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