音楽専門のPRエージェンシー「Gerbera Music Agency(ガーベラ・ミュージック・エージェンシー)」を経営する金野和磨さん。
金野さんは、自分の会社の仕事をしながら、同時に、コンテンツマーケティングのお仕事もされています。
現在もダブルワークですが、学生時代はたくさんのバイトを掛け持ちし、お金をたくさん浪費して、ブランドものを購入していたそうです。
そんな金野さんが、社会に出て、自分の会社をつくって、大切だと思えるようになったのは「幅のある消費」
借金を抱えていた頃もあるからこそ、幅を楽しむことができるようになったんだと、金野さんは言います。
金野和磨(こんのかずま)さんインタビュー
インタビュー日:2016年10月12日(水)
父が転勤族で、転校が多かった学生時代
── まずは自己紹介をお願いします!
金野 和磨(以下、金野):
29歳で、現在はふたつの仕事を掛け持ちしています。いわゆる「ダブルワーク」と呼ばれる働き方ですね。
ひとつは音楽専門のPRエージェンシー「Gerbera Music Agency(ガーベラ・ミュージック・エージェンシー)」を自分の会社としてやっています。
もうひとつは、コンテンツマーケティングのお仕事。これは、Webコンテンツの制作ですね。クライアントとやりとりをして、ライターさんをアサインしたり、記事をチェックしたり、編集者に近い仕事です。
── 出身はどちらですか?
金野:
宮城県の気仙沼市です。ただ幼稚園のときに千葉市の花見川区に引越しました。小学校一年でまた気仙沼市に戻って、4年生までいました。そのあとまた千葉、今度は柏市に引越しました。
── 引越しがすごく多いんですね! お父さんが転勤族だったんですか?
金野:
そうですね。中学は2年生まで千葉だったのですが、そのあと3年のときに気仙沼市に戻って、高校時代を過ごしました。高校を卒業して、大学のために上京しました。
── 気仙沼市はなんというか・・・田舎ですよね?
金野:
ど田舎です(笑)。小学校低学年のときは、虫をとったり、おたまじゃくしをとったりして遊んでいましたね。あとは野球をやったり、水泳したり、サッカーしたり。
── スポーツ少年だったんですね。
金野:
野球をやっていたときは褒められることが多かったんですけど、当時、三浦知良選手がすごい人気で。
── 僕は今年31歳なのですが、僕らの世代はそうでしたよね。
金野:
カズ(三浦知良選手)のストライカーしての魅力、人間的な魅力に惹かれてサッカーをやるようになった感じです。どこにでもいる田舎の少年だったと思います。
田舎の暮らしと都会の暮らしの違い
── 小学生のときに、気仙沼市から千葉に引越したときは、カルチャーギャップみたいなものがなかったですか?
金野:
ありました!「空気」という概念があることを初めて知ったんですよ。「空気が読めないやつ」と思われてしまうと、いじめられるんだ!って気づいて(笑)。
── なるほど(笑)。
金野:
スポーツが上手いとか、ケンカが強いとか、それさえあれば輪の中でうまくやれるわけじゃないんだ!というのを知りましたね。無視をするという文化とか。
── それは気仙沼にはなかったですか?
金野:
全然なかったですね。今度は中3のときに、都会の空気を知った上で、そのノリのまま気仙沼に戻ったんですよ。そうしたら「お前、調子乗ってんな」みたいなことになってしまうっていう(笑)。
── おもしろいですねえ、土地柄の違い。小学校や中学校時代のお年玉とかどうしてましたか?
金野:
千葉の柏市の時代は、カードゲームのレアカード買ったりしていた記憶はありますね。あとはハイパーヨーヨーとか。
── 高校時代はバイトとかしていましたか?
金野:
バイト禁止だったので、何もしてないですね。公立なんですけど、バイト禁止でした。
── じゃあ自分でお金を稼ぐ経験は大学に入ってからですね。
金野:
そうですね。上京は、なんとなく東京に出たい、みたいな気持ちがあっただけですね。田舎である気仙沼を見て、千葉の都会も見て、比較ができるわけじゃないですか。
自分の場合は、東京というか、変化のスピードが早い都会的な暮らしのほうが向いてるんじゃないかなと考えた上で上京することを選びました。
大学に入ってからもサークルで引き続きサッカーをやっていて、楽しかったので結構のめり込んでました。
大学時代は26個のアルバイトを経験した
── アルバイトは何をやっていたんですか?
金野:
4年間で・・・26個くらいやったんですけど。
── めちゃくちゃやってますね(笑)。
金野:
今もダブルワークですけど、当時も掛け持ちでいろいろバイトを並行していた感じです。1年のときはサークルにハマッていて、2年3年はバイトをやりすぎて単位が取れなくて、4年で取り戻しました。
── それだけアルバイトをするってことは、お金を稼ぐことにハマッていた感じですかね?
金野:
お金を稼いで、それを使うことにハマッてましたね。一番多かったのは洋服で、大学の3年くらいまでは、アパレルで起業したいと思っていたんですよ。
── あっ、その頃にはすでに起業したいという気持ちがあったんですね?
金野:
そうです。当時、雑誌の『CHOKiCHOKi(チョキチョキ)』が全盛期だったんです。この雑誌が、古着も着るけど、ハイブランドも着る、みたいなスタンスだったんですね。
当時、バーバリープローサムとディオールオムとランバンのコレクションがめちゃくちゃかっこよかったんですけど、それに影響されて、ハイブランドのほうにいってしまったんです。
バイトで稼いだお金はほぼ服に使っていました(笑)。中でも大学のときに42万円する時計を買って、最近までずっと大切に身に着けていたんですね。
── 最近までというのは?
金野:
去年、漫画喫茶でトイレに行ったときに外して、付けずにトイレを出てしまって、ハッと思って戻ったら、盗まれていました。
── えっ。
金野:
8年くらい使ったからもういいか、と思って。もう寿命だよ!とか言って自分を納得させてましたね。
── 今は腕時計付けていないですよね?
金野:
はい。もういらねえ、って思ってます(笑)。
── でもそれがあったからこそ、腕時計なんていらないということに気づけたというか・・・。
金野:
ですね。だからよかったと思うことにします!(笑)。
知人にお金を貸して返ってこなかった
── じゃあ大学時代は貯金なんかしてなかった感じですか?
金野:
全然してなかったですね。むしろ、お金を借りていました。最初はクレジットカードの限度額が10万円だったんですけど、いつの間にか50万円まで借りられるようになってて。
── あっ、毎月きちんと返済していたからですね。
金野:
そうですね。信用がついたんです。で、知り合いに「お金を貸してくれ」と言われて、30万円貸して、そのあとに20万円貸したんですよ。
── 合わせて50万円。
金野:
それを、キャッシングして貸したんですね。そうしたら、案の定、飛んでしまって。親に泣きついて、自動車の免許を取るためのお金をその返済に全部当てて、まだ残り20万円あったので、それはバイトで返しました。
── どういう状況で貸したんですか?
金野:
そんなに仲良くないヤツだったんですけど、大変みたいだから俺がなんとかしてやらなきゃいけないみたいな、当時はそういう正義感があったんですね(笑)。
まあキャッシングできるんだからいいか、と思って。性善説を信じすぎてました・・・。
飛び込み営業時代
── えええ。よくも悪くもいろいろお金の学びがあって、社会人になるわけですね。
金野:
はい。大学を卒業して新卒で入った会社が、人材派遣や人材紹介をやっていた会社で、2年半、飛び込み営業をやっていました。
部長に「このあと銀座行くぞ」と言われて、銀座の地図を渡されて、本当にしらみつぶしに一個一個ビルに入って行くんです。
10階建てだったら、10階から1階まで営業するんですよ。で、また隣のビルも10階から1階まで。それをひたすら繰り返していました。
── へえー、めちゃくちゃ大変そうですね。なんでその仕事を選んだんですか?
金野:
一番エグそうだったから。
── えっ?
金野:
大学4年のときに、なんとなく音楽の仕事をしてみたいなと考えてたんですよ。
当時はなんの知識もなかったので、最初はやっぱりレコード会社かなと思ってあるとき話を聞きに行ったんですけど。
レコード会社の人に「この業界に新卒で入るのは、他の仕事をしづらくなるからやめろ」って言われたんですね。
だったら一社目にすごい大変な仕事をして、どこに行っても通用する人間になってから、レコード会社に入ったほうがいいと思ったんですよ。
どこに行っても通用する人間になるために、キツい仕事のほうがいいだろうって考えました。だから最後の半年はグループのリーダーをやらせてもらって、マネジメントを学んでから辞めた感じです。
── その頃はもうブランド欲というか、買い物の欲求はなくなっていたんですか?
金野:
なくなっていましたね。空虚だな、と(笑)。
大学4年のときに、好きだった人に「ファッションが個性的すぎる」って言われて、上手くいかなかったんですよ。
そのときに初めて、「服に着られる」というのがどういう状態を指すのか気づきました。遅すぎたんですけど。
それからはブランドに関係なく自分の良さを引き出してくれる服を買おうって思いましたね。
で、どこでも通用する人間になろうと仕事をがんばったんですけど、それって果てがないなと気づきまして(笑)、音楽サービスをやっているベンチャー企業で働くようになりました。
いくつかの仕事を経験し、起業
── 仕事内容はどういうものだったんですか?
金野:
ほとんどはサービスの営業ですね。それこそ前職の経験を活かして飛び込み営業してました。そのあと、2013年2月から、今もやっているコンテンツマーケティングの会社で働くことになる感じです。
── そのときはどういう想いで職を変えたんですか?
金野:
マーケティングとかメディアのことをわからないとやっていくのは難しいなあと思って。営業をたくさんやっていたからこそ、「営業だけじゃダメなんだ」と思いました。
とはいえ、マーケティングを好きになっていたのもあったので、コンテンツマーケティングの会社というのはちょうどよかったし、やりたいことに沿っていたんです。
── 営業を学んで、マーケティングを好きになって、それを軸にした会社を自分で始めることになるという流れですね。
金野:
そうですね。2015年の10月に会社を立ち上げて、今に至ります。
今、話を聞いてもらいながら、自分のことを振り返って改めて思うのは、大学の1年から3年くらいまでにお金を使いすぎていた時期があって、結果、全然自分の中で幸福感みたいなものがなかったんです。
それ以降はちゃんと身の丈を考えて、使う金額を考えるようになりましたね。大学のときは、4年間のトータルで200万円の借金をしました(笑)。
── えっ、そんなに!
金野:
ほとんどがクレジットカードのショッピングローンでしたね。
それを返済するために、いろんなバイトをしていたという感じで(笑)。塾講師の仕事は儲かりました。塾講師のバイトがあったから、なんとか返せた感じです。
もともとは30か31歳で起業しようとしていたんですね。結局前倒しになっちゃったんですけど。
高橋がなりさんを尊敬している
── 起業する年齢を30か31と決めていたのはなぜですか?
金野:
勝手に師匠みたいに思っている人が何人かいるのですが、最も精神的な支柱になっている大きな存在が、ソフトオンデマンドの創業者の高橋がなりさんなんですよ。
── あっ、アダルトビデオの会社を立ち上げた方。
金野:
ですです。彼が昔言ったことで、僕が勝手に「雪だるま理論」と呼んでいる法則のようなものがあるんですね。
20代はとにかく自分の核を固める必要があるんだ、焦って転がすな、と。30代まで我慢できたら、ガッチガチに固めた雪だるまを転がせ!ということです。
そうしたらたくさん転がって、大きくなっていくんだ、という話なんですよ。20代で若くして起業してしまうと、核がやわっこいまま雪だるまを転がすことになるじゃないですか。
それは上手くいかない可能性も高いし、リスクが大きいんです。
もちろん20代で起業しても成功し続ける器用な人はいますし、現に友人で成功しそうな匂いをすでに出している人もいるんですが、僕の場合は人一倍不器用だという自覚があるので、この法則を盲目的に信じています。
── なるほど。おもしろい話ですね。
金野:
と、言いつつ、20代で起業したのは、こちらが法人になっていないとミュージシャンに源泉徴収の手間をかけてしまうとか、余計な負担をかけてしまうからです。
ミュージシャンを応援したいのに、そんなことで手間をかけさせてしまうんだったら、自分がこだわらずに法人をつくればいいと思って、起業しました。
── 金野さんは、本当にミュージシャンのためを思って仕事をしているイメージがあります。
金野:
そう言ってもらえるのはありがたいですね。
幅のある消費をできる人になりたい
── これからについてもお聞きしたいのですが、今後の理想の生活ってありますか?
金野:
幅のある消費を楽しみ続けたいですね。
── 幅のある消費?
金野:
音楽の仕事をしていると、北海道に行くとか、神戸、大阪、仙台、名古屋って各地に足を運ぶ機会があるのですが、宿泊は漫画喫茶で寝泊まりすることもありますし、ホテルのときもあるんですね。
漫画喫茶に泊まり続けて身体がバッキバキになっているときに、ホテルに泊まるとありがたみがすごすぎてテンションが上がるんです。
ベッドの弾力がヤバい!とか、足を伸ばして寝られる!とか(笑)。逆に、ホテル宿泊が続いているときに漫画喫茶に泊まると「浮いたお金で何しよう」みたいなことを考えてテンションが上がります。
世の中には安くても楽しい体験ってたくさんありますし、「安かろう悪かろう」のときもある。
逆に、高い値段に見合った素晴らしい体験に感動することもありますし、値段が高いだけでつまらない消費もあります。
経済力の変化に合わせて生活レベルを上げることだけに楽しみを見出すのではなく、どっちも選べる状態であり続けること。その状態を楽しみ続けられることのほうが自分にとっては幸せなんです。
会社としての目標
── なるほど。会社として今後はこうなりたいという目標はありますか?
金野:
近々の目標は、自分が代理しているバンドの中から、渋谷のクラブクアトロにお客さんを埋められるくらい、つまり、800人くらいのライブハウスを埋められるレベルの人気バンドを出したいですね。
今後、2年くらいでそこまでいきたいです。これをやれるようになると、だんだん音楽業界で「こういう会社があるらしいよ」と言われるくらいになるはずなんです。
そうすると、新しいことを仕掛けるときにも動きやすくなると思うんですね。やりたいことは、音楽業界専門の人材紹介とか、データの収集と販売をする事業とか、いろいろあります。
── 事業が大きくなると、音楽業界にどういった変化が起きますかね?
金野:
今の音楽業界の中でバンドの活動を継続していく術って、自分たちですべてやるか、事務所かレーベルに所属するかしかないんですね。僕は、それ以外の選択肢を生みたいと思っています。
つまり、自分たちでやるという基本スタンスをもちつつ、自分たちでは賄えない部分を外部のエージェンシーに任せる、という選択肢です。
何でもかんでも海外の音楽業界の方がいいというわけでは決してないんですが、たとえばアメリカでは、バンド自身では賄えないことを外部の人に任せるというスタイルが主流になっています。
日本の話に戻りますが、たとえば一度はメジャーデビューしても、契約が切れてしまって、バンドを続けることができなくなってしまう人たちってたくさんいるんです。
そういった方たちの受け皿になることで、活動を継続しやすくするお手伝いがしたいと思っています。
── 最後にお聞きしたいのが、借金したりとか、バイトで稼ぎまくったりとか、起業して今はダブルワークしていて、そういう人生を送ってきて一番の気づきってなんですか?
金野:
んー・・・やっぱり、幅のある消費は楽しいってことですね(笑)。
美味しいものをたくさん食べたいとか、節約して食費を安くするとか、どちらかに偏るのが普通だと思うんですけど、幅を意識して、様々な選択ができる状態がおもしろいし、理想ですね。
借金をして自分自身も生活の幅を知ったからこそ、そうやって感じられるようになったんだと思います。
── たぶん事業もそうですよね。ミュージシャンやバンドの活動の選択肢を増やしたいというのは、幅をもってもらいたいっていうことですよね。
金野:
たしかにそれはそうですね。今でも事務所やレーベルに所属するスタイルで問題なく活躍できているミュージシャンやバンドってたくさんいますし、バンドメンバーだけで会社をつくって成功している人たちもたくさんいます。
でも、その2つだけでは窮屈さを感じるミュージシャンが出てきていることもまた事実です。
そういった方たちに「こういうスタイルもあるよ」と選択肢を提示できるような存在になりたいと思います。
【編集後記】インタビューした感想
金野さんとは僕自身、ライティングのお仕事で関わったことがあり、会社や事業のビジョンは聞いたことがあったのですが、浪費していた大学時代や飛び込み営業時代の話は初めてうかがうことができました。
飛び込み営業、音楽ベンチャーでの営業、コンテンツマーケティング、それらすべての仕事が今の事業のために存在していたことも、今回話をうかがって、やっとわかった気がします。
そして借金をしていた学生時代も含めて、様々な経験を踏まえた上で「幅を広げる=バンドやミュージシャンの選択肢を増やす」という考えになり、現在の事業を選ぶことも、納得がいきました。
「Gerbera Music Agency(ガーベラ・ミュージック・エージェンシー)」はまだ始まったばかりなので、今後も応援していきたいと思っています。