ブログ「茅ヶ崎の竜さん」を運営しているブロガーの長山竜(ながやま りゅう)さん。
竜さんは、1975年に東京都港区で生まれ、現在は40歳。山梨県大月市の親戚の家に預けられて育ちました。
1986年、東京都港区北青山の実家に戻り、1988年には全寮制の男子校である中学に入学。エスカレーター式に高校へ進学し、大学を二留した後、中退。
大学中退後は様々な職を転々としながら、自分なりの生き方を探していきました。そうして生きている中で、「海の近くに住みたい」と神奈川県茅ヶ崎市に引越します。
ブログは海に面した湘南茅ケ崎らしく、バーベキューやアウトドアの楽しみ方を始め、Apple製品やガジェット、楽しく生きるための「こころハック」、オートバイや野宿旅について書かれています。
僕の中にあった竜さんのイメージはブログのテーマ通り「自由気ままに、のらりくらりと楽しそうに生きている方」という印象でした。
しかし、その裏には、一筋縄ではない過去があったのです。
「お母さんは死んだ。お父さんは忙しくて、親戚の家に預けられた」と語る竜さん。
その波乱万丈な人生の中で培ってきた、お金に対する考え方と「好きなように生きること」の大切さについてお話をうかがいました。
茅ヶ崎の竜さんインタビュー
インタビュー日:2016年8月15日(月)
何をやってるのかわかんないけど、楽しそうなおっさん
── 竜さんのことは前々から存じておりまして、僕としては「ブロガーの茅ヶ崎の竜さん」という認識なんですが、実際に今はどんなお仕事をされているのですか?
竜さん:
ブロガーとして活動していて、ブログ収入がひとつの柱になっていて、あとはコラムニストとして連載を持っています。それとは別に、なんて説明したらいいか難しいんだけど、一般的にコンサルティングと呼ばれていることに近いことをやっています。
── ・・・ずばり、何屋さんなんですか?
竜さん:
ははは(笑)。僕なんかね、「何をやってるのかわかんないけど、楽しそうなおっさん」っていうふうに思ってもらえればそれでいいんですよ。
── 1975年に東京都港区に生まれて、幼いときは山梨県の大月市で育ったんですよね?
竜さん:
そうそう。母親がいなくて、父親がひとりで美容師をやっていたので、面倒を見れないからって、小5まで大月の親戚の家に住んでいました。小6の時期だけ東京の実家に住んで塾に通って、中高は千葉の全寮制の男子校ですよ。これ、おもしろいね。
── 何がですか?
竜さん:
いやさ、こんなに自分のことを思い出すこと、なかなかないじゃん。
── そうですかね(笑)。ありがとうございます。
竜さん:
金銭感覚も、幼い頃からの親の刷り込みで決まってしまったりするんですよね。この取材のお話をもらって、ノマド的節約術を読んで、自分のことを改めて考えたことはあまりなかったなぁと思っていました。
── なるほど。今日はいろいろ深掘りさせてください(笑)。幼い頃はどんなお金の使い方でしたか?
竜さん:
子どもの頃は、とにかくお金は「ない」という感覚で育てられたんです。親戚というのは、親父のお姉ちゃん家族のことなんだけど、もちろん旦那さんがいるわけですよ。つまり、その家の家長は、僕にとっては知らない人なんです。
おばちゃん(その親戚・父の姉)としては、自分の弟とはいえ人様の子どもを預かっているわけだから、常識中の常識を教えるわけですよ。お年玉は自分で使ったことないし、貯めなきゃいけないものでした。
幼少期は望まれていない子どもなんだと思っていた
── お小遣いとかなかったですか?
竜さん:
お小遣いは普通にもらってた。駄菓子買ったりね。で、小6のときに大月から実家の東京に戻るんですよ。だから親父とはその一年間くらいしか一緒に住んでいないですね。
小さい頃は記憶ないので、小6の時しか一緒にいたことがないんだよ。そこがポイントなんですけどね。
── 「そこがポイント」と言いますとなんでしょう?
竜さん:
まぁ、親父との・・・心の距離ですよね。幼少期はカッコいい父に憧れていて、思春期で畏怖に変わったって言うのかな。で、お母さんは死んだって伝えられてたんだよ。
自分の中では記憶もないから。小さい頃は「俺はお母さんのいないかわいそうな子なんだ。親戚の家に預けられている哀れな子なんだ」って思って育っていたんだよね。でも違ったんだけど。
── ・・・違った?
竜さん:
今から何年か前にね、行ったこともない県の弁護士からある日いきなり封書が届いたんだよ。
── それは驚きますね。
竜さん:
何かっていうと、要はお母さんは生きていたんだという話で。でもその封書が届いた7年前に亡くなってたんだ。今から思えば十何年か前で、大人だからショックも何もないんだけど。いろいろと、ワケありな人だったらしいんだよ。
── ワケありな人、ですか。
竜さん:
そう。借金まみれだったらしいんだよ。詳しいことはよくわからないけど、その封書は財産放棄してくれという内容だったんだよね。つまり、放棄しないと、あなたのところに借金が行っちゃいますよ、ということが書いてあった。
── それは・・・。
竜さん:
もちろん放棄したよね(笑)。親父は青山の美容師で、カリスマ美容師として大成功した人なんだ。社会的に成功して、いい車に乗って、みたいな生活をしている人だったんです。
俺を親戚に預けて、口車に乗せて全寮制の学校へ入れて、大学へ入れて一人暮らしをさせて、俺自身は「ジャマなんだな」ってずっと思っていたわけよ。「俺は望まれていない子どもだったんだな」と思っていたわけです。当時はね。
ただ、のちのち判明したことなんだけど・・・親父とそのお母さんは結婚もしていなくて。小さい頃に、親父の新しい彼女とその連れ子に虐待されていた記憶があるんですね。
トラウマによってねじ曲げられていた記憶
── 虐待・・・竜さんがですよね。
竜さん:
そうそう。で、その「新しい彼女」と思っていた人が、本当のお母さんだったらしいんだよ。
── えっ!? はい・・・。
竜さん:
よくわからないでしょう? 虐待されていたのは親父にできた新しい彼女だと思っていたのに、実の母親らしいことがあとからわかったんだよ。
連れ子にもイジめられていてさ。だから「あの女・・・」ってずっと思っていて、トラウマになっていたんだよ。でも、それが本物の母親だったんだよね。
それがわかったのが転機ですよね。わかったのは、おととしから去年くらいの話だもん。
── えっ、それはどうやってわかったんですか? 封書だけではわからないですよね。
竜さん:
弁護士から封書が届いたときに、お母さんのお姉ちゃんだか妹から電話があって「覚えているかわからないけど、あなたにはお兄ちゃんがいるのよ」って言われて、それがその連れ子なのよ。
そういう一連の流れがあって当時はうつで仕事もしていなかったんだけど、夜中遅い時間までママ(竜さんの奥様)とそのことを話していたときに「あっ、怖い。この話もうやめよう!」って言ったんですよ。もう直感で、この話を続けたらヤバいと思って。
そうしたらママが「竜ちゃん、そこを進まないと先に行けないよ?」と言ったんです。その瞬間、僕は普段は温厚なほうだと思うんですが、ブチ切れてしまって。「うわー! なんで俺が嫌がっているのにそんなことを言うんだ!」って叫んだんですよ。
でもママが、また同じ顔で同じことをもう一回「そこを行かないと、次に進めないよ」と言ったんですね。その瞬間に記憶のフタがとれたんです。そのときは本当に生まれて初めて発狂しましたよ。
── 自分を虐待していた人が実の母親で、連れ子が実の兄だと気づいたわけですね。
竜さん:
そう。このとき、絶望というか、今までの生き方じゃダメなんだって、底の底を知れたんです。自分の中のイメージでは母って、聖母のような、マリア様のような存在だと勝手に思っていたのに、そいつだったのか、と。サタンだったんじゃんって思ったんですよ。
だから俺が生きていてしんどいのは、俺のせいじゃなくて、もうあいつのせいじゃんって素直に思えたんです。親のせいにしていいんだ、ってね。
── 今から思えば、お父さんは山梨の親戚の家に引き離してくれたということだったんですか?
竜さん:
そこまではわからないけどね。でも、親父は親父でこの女じゃダメだなと思って、俺のことを引き取って親戚の家に預けたとはいえ育ててくれたわけだからさ。それは愛情なのかなぁって今は思えますけどね。
今は親父や、その親戚にはたくさん感謝してる。
全寮制の学校へ通った中高生時代
── なるほど・・・。話を戻して、中高生時代のことを聞いてもよいですか?
竜さん:
もちろん。一言で言えば、ボンボンが行く学校だったんですよ。有名な野球選手の息子がいるとか、有名企業の会長の子どもがいるとか、そういう学校。
うちは一般的な家庭に比べたらお金があったのかもしれないけど、ボンボン学校の中では、ド底辺なんですよ。彼らはお金の使い方も違うし、遊び方も違うし、そもそも持っている金額が違いましたよね。
そこで経済格差や生まれた環境の違いを感じたのはあるのかもしれない。インターナショナルクラスだったから、帰国してきた学生が多かったんだよね。
持ち物が違ったよね、彼らは。当時、大人でも持っていないような豪華なラジカセでラジオや音楽を聴いてたし。邦楽なんか誰も聴かないし、みんな洋楽を聴いているんだよね。
── 高校のときはアルバイトしてる人とかいなかったんですか?
竜さん:
全寮制だからね、できなかった。でもまぁ、夏休みに青山の実家に戻って、引越しのバイトしたことはあったなぁ。
── インターナショナルクラスからは、竜さんもかなり影響を受けてますか?
竜さん:
今思うとね。当時は、映画監督になりたかったんだよ。留学しようと思って、インターナショナルクラスに入ったんだけど。
── そういう自分の夢については、お父さんとの対話があるわけですよね?
竜さん:
うん。映画監督も小説家も、親父が昔なりたかったものなんだよ。だから、親父に認められたくてそうやってずっと言っていたし、40年近く生きてきたんだよ。映画監督になれば、親父が愛してくれるだろう、って。
結局さ、あの頃の俺は、親父に愛されたくて仕方がなかったんだろうね。
挫折を経験した大学時代
── 中高と寮生活で、進学されて、大学は中退ですよね。
竜さん:
大学ね・・・大学時代は、スーパー暗黒モラトリアムですよ。大学のことって思い出す機会ほとんどなかったなぁ。二留して中退しているんですよ。
バイトもしてたけど、バイト代は湯水のように使っていたから、なんだろ、「お金がない」ということが確固たるものになった頃だね(笑)。
── 「お金がない状態」が確立されたんですね(笑)。
竜さん:
飲み屋でアルバイトしていたんだけど、0時に仕事が終わったらさ、朝までみんなで飲んで、夕方まで寝て、また仕事に行くっていう生活になっちゃってたよね。
映画監督になるのを諦めて、留学を取りやめたんですよ。だから、父親には「お前は逃げたんだ」って言われたし。挫折した時期だった。そこからは学校に行かなくなった。
挫折経験があるとしたら、この頃なんだなと自分では思っていて。映画監督を諦めて、小説家になると言って小説を書いたりしていたけど。お金を稼ぐためには、辛い仕事を選ばなくてはいけない、って考え始めてしまったんだよね。
それから料理人をやっていた時代もあって、仕事は楽しかったのに、3人目の子どもが生まれてお金を稼がなきゃいけないと思って、自ら苦手な運送の仕事を選んで、運送会社に入って働いていたんだ。
── 働くことやお金を稼ぐことをネガティブなものだと自分で決めつけてしまっていたんですね。大学を中退して、社会に出てから、お金に対する意識は変わっていきましたか?
竜さん:
食っていくこととやりたいことは別だと考えていたけど、今はそれが同じレールにあるんだなって気づけたんですよ。それに気づけてからは、人生が楽しくなった。
お金をたくさん稼いじゃいけないとか、楽しく稼いじゃいけない、という意識がどこかであったんだろうけど、今は、自分が一番好きなことをやったほうが、一番お金を稼げるんだなっていうことがわかったんですよ。
幸せなお金の使い方
── 大きな転換点ですね。家計はどうやって管理していますか?
竜さん:
家計は全部ママに任せてます。だからこそよく言えば、自分は好きなように稼ぐところだけに集中できるんだよね。ただ好きなことをやっているだけとも言えるんだけど(笑)。
MacBookを15万で買って、バイクの旅に20万くらい使ったんだけど、ママに「買っていい?」「行っていい?」って聞いて、「いいよ」と言われたら行くだけなんだよね。
── えっ、じゃあ今、貯金がどれくらいあるとか、いくら使えるお金があるとかご自身でわかってないんですか?
竜さん:
わかってない(笑)。すべてママに任せてる。
── 竜さんが考える幸せなお金の使い方ってどういうものですか?
竜さん:
無駄遣いしたり、幸せじゃないお金の使い方をしてしまうのは、不安の表れなんだよね。その不安の根っこをどうにかしない限り、幸せなお金の使い方ってできないんですよ。
よく部屋が汚れている人は、心も汚れているとか乱れているって言うじゃない? それと一緒で、自分の心を整理整頓する意味で、不安の根っこを取り去ってあげないといけない。
その不安の根っこの取り去り方は、身近な人に話したりとか、先輩とか上司とか信頼できる人に相談したりとか、人によっていろいろあると思う。
ただ、大事なのは、さっきお母さんの話のときにママに「そこ行かないと進めないよ」と言われたことと一緒で、自分の心と向き合わなきゃいけないって瞬間はあるだろうね。それをやらないと先に進めないんだよ。
でもそれって、俺もさっき発狂したって言ったけど(笑)、すっごくしんどいことだからさ。やらないで生きていくことだってできると思うんですよ。で、それでいいなら、それでいいから。
でも生きている中で何か不安なことがあって、それがたとえば散財につながってしまうとか、不安で不安でどうしようもないってことなら、自分の心に向き合ったほうがいいのかもしれないよね。
もちろん、僕のところに、相談に来てもらってもいいしね。
【編集後記】インタビューした感想
ブログ「茅ヶ崎の竜さん」には、竜さんご自身が数年前にうつになったことも、正直に書かれています。
しかし、お父さんやお母さんとの間に、語っていたいただいたような物語があることはまったく知りませんでした。
ブログで見る竜さんは、温かくて、穏やかで、自由に生きていて、好きなことだけ楽しくやって生きてきたかのような表情をしています。
ただ、それは、最初からそうだったわけじゃなくて、簡単に手にしたものでもなくて、様々な経験があったからこそなんだなということを、お話を聞いた中で、ずっしりと感じました。
今回改めて、自分の心に真摯に向き合って、自分自身の声に耳を傾けることの大切さを思い出させてもらったと同時に、今後自分が何か迷ったときには、このインタビューのことを思い出したいなと考えています。