お金やモノは必要最低限で。そんな暮らしに、幸せを感じられるようになりたいと思ったことはありませんか?
ところが実際のところ、欲しいモノはいつもたくさんあって、物欲が尽きない状態の方も多いのではないでしょうか? それでは節約もできません。
今回お話をうかがったフリーライターの阿部光平さんも、物欲が尽きないタイプだったそうです。しかし学生時代に世界各国を旅してからは、お金やモノに対する価値観がガラッと変わったと言います。
「幸せのハードルを下げるには、最低限の暮らしを体験するのがいい」と、阿部さんが語る秘密は、「旅」にあるようです。
フリーライター阿部光平さんインタビュー
インタビュー日:2016年6月6日
インタビューの流れは以下のようになっています。
- 就職は?今の仕事を始めたきっかけ
- フリーライターとしてのステップアップ
- お金の使い方と幸せの得方
- ローカルメディア『IN&OUT -ハコダテとヒト- 』を始めた理由
就職せずにオーストラリアへ、世界一周の旅へ
―― まずは自己紹介をお願いいたします。
阿部光平(以下、阿部):
1981年に北海道函館市で生まれました。フリーライターとして紙媒体を中心に、旅行誌、タウン誌、アウトドア誌などで執筆しています。
あとは地元函館のローカルメディア『IN&OUT -ハコダテとヒト- 』の運営をしています。
―― ライターとして仕事を始めたのいつからですか?
阿部:
大学を卒業して2年後のことですね。卒業してからの2年間は、オーストラリアへワーキングホリデーに行って、その後は、世界一周していました。
―― 旅をしていたんですね。
阿部:
はい。大学の頃からですね。学生だから休暇の期間が長いじゃないですか。
その間、バイトばっかりしているのももったいないなぁと思って、友人たちと旅行に行くようになったんですよ。車で日本を縦断しながらサーフィンをしたり、名所を巡るような旅です。
―― へえー!
阿部:
この旅がすごくおもしろくて。各地でいろんなモノを見たり食べたりしているうちに、まだ行きたいところもあるし、サーフィン以外のことでも遊びたくなりました。
それからですね。休暇が取れたら全国各地へ行き始めて、それがだんだん「今回はヨーロッパ」「次はアジア」と、海外に向かっていくようになったんです。
大衆食堂で声をかけられ、ライターの道へ
―― それは学生時代の話ですよね。就職はどうされたのですか?
阿部:
一般的には4年間大学で学んで、就職活動する流れになると思うんですけど……。
なんか、もうちょっと行きたい国があるから、若いうちに気が済むまで旅しようと(笑)
そうして卒業後から1年間、ワーキングホリデーでオーストラリアに行きました。
旅行じゃなくて、「住む」という体験をしたくて。畑でぶどうを採ったり、カジノでバーテンダーをしたり、仕事をしているうちにいろんな国籍の友達がたくさんできます。
そうすると「お前、次はうちの国に来いよ」と誘われるので、行きたいなぁと思って。オーストラリアで働いて100万円くらい貯めて、その後また約1年間、世界一周の旅をしました。
―― まだ就職しないんですね(笑)。どんな旅だったのですか?
阿部:
訪れたのは、北米中米南米、アフリカ、ヨーロッパ、アジアと回って、最後は香港でした。当時は髪型がドレッドで、ヒゲがもさもさ。
空港ごとにバッグを開けられて、中身を掃除機で吸われるくらい怪しい風貌だったんですけど(笑)
そのときにたまたま大衆食堂で知り合ったおじさんに旅の日記を見せたら、「おもしろいね。うちでちょっと仕事しない?」って、機内誌で執筆する仕事を提案してくれて。おじさんは航空会社の人だったんですね。
僕は帰国してもやることがなかったので、「ぜひやらせてください」と申し出ました。そうしてライターになったんですよ。
―― はじめはどんな執筆の仕事でしたか?
「中国の奥地の少数民族を訪ねる」みたいなテーマと取材費をいただいて、自由に旅をして記事を書く仕事でした。
ピストルを突きつけられたり、強盗にあったりという、旅先での危険な体験記がおじさんにウケていたから、そういうの稀有な体験を書けばいいんだと思って(笑)
マフィアのところに顔を出してみたりとかして、おもしろく書けた原稿をドヤ顔で編集部に持って行きました。
ところが、「ちょっと待ってくれ。これからその国に行って旅行を楽しもうと思っている人が読む媒体に、恐怖感を煽るような話は困りますよ」って指摘を受けてしまいまして。
それで結局、おいしいご飯や絶景を取り上げた記事が採用されたんです。
ライターの仕事というのは媒体の色に合わせて、需要のある原稿を書かなきゃいけないんだと納得しましたね(笑)。
―― 仕事をはじめから楽しいと思えましたか?
阿部:
そのときちょうどパワースポットが流行っている時期で、旅行系ライターがすごく重宝されていたんです。
各地へ行って、取材して、書く。
「超楽しいじゃんこの仕事!」って感じで、すごく楽しかったですね。
―― じゃあ、いわゆる就職してサラリーマンする、みたいな働き方をしたことは、今までゼロ?
阿部:
そうですね。最初からフリーランスとして仕事しています。今年でもう9年です。
―― はじめから機内誌で書けるって、ラッキーじゃないですか? すごくライターとしての信頼性が担保されていると思います。
阿部:
そうですね。そのうち、記事を読んでくれた日本の旅行会社や旅行雑誌の人が、ちょこちょこ声をかけてくれるようになりました。
―― 今に至るまではどんなステップアップでしたか?
阿部:
最初は旅行誌ばかりで仕事をしていました。楽しくやっているうちにいろんな付き合いができて、アウトドア誌やグルメやお店を取材するタウン誌に、横の幅を広げていった感じですね。
あとはフリーランスなので、その時々で興味あるところで活動していけるのがこの働き方の魅力です。
―― 具体的にはどんな活動をしているのですか?
阿部:
今は毎年新潟県湯沢町の苗場スキー場で開催しているフジロックフェスティバルの、会場から最新レポートを届けるFUJIROCK EXPRESS(フジロックエキスプレス)というチームでライターをしています。
地震のあとは、やっぱり政治関係のことに興味があったので、新しいジャーナリズムのありかたを具現化するインターネット報道メディア『IWJ Independent Web Journal』で記事を書いたりしていました。
―― それはどんな取材をするのですか?
阿部:
デモとか、選挙関係の取材ですね。その時々によって、文章に軸足を置きつつ、興味のある分野に顔を出しています。
最低限の暮らしをすると、幸せのハードルがすごく低くなる
―― お金の使い方で気をつけていることはありますか?
阿部:
そもそも原稿の執筆は家でしているし、頻繁に外を出歩くわけでもないので、あんまりお金を使わないんですよ。
ただ、ずっと家にいると体を動かしたくなってきます。だから移動と運動を兼ねて自転車に乗っています。
都内って、電車を乗り換えて行くより自転車で行ったほうがお金も時間も節約できるんですよね。
―― 節約するほどお金を使っていないという感じなんですね。
阿部:
そうですね。ただ、お金を得るために消費している時間をどう取り戻すか、というのを意識していますね。
そのひとつが、移動のついでに運動する時間をもたらしてくれる自転車なんですけど。
自転車移動と同じように、お金と時間に意識を向けておくことは、結果として節約につながっていくことがあると思います。
―― 散財するとか、ぱーっとお金を使う、みたいなことはないですか?
阿部:
今しかできないこと、ここでしか体験できないことには、惜しまずお金は使います。
例えば、その時しか見ることができないライブとか、期間限定で劇団が来て芝居をするとか。
ただ、普段の生活ではあんまり散財することはないですね。
―― そもそも阿部さんがあまり物欲がないのは、どうしてなんですか? 何かきっかけはありましたか?
阿部:
もともとはすごく物欲がありました。それがなくなったきっかけって、旅行なんですよね。
―― 旅に出ると、物欲がなくなるんですか?
阿部:
僕の場合はそうですね。旅中は本当にお金がなくて、ヒッチハイクして野宿して生活をしていたんですよ。
オープンカフェとかで、人が残したパンを食べることもある日々でした。そういう過ごし方をしたことで、お金に対する意識が変わったんです。
つまり、最低限の暮らしをすると、幸せのハードルがすごく低くなるっていうんでしょうか。
僕の場合は、モノによって幸せを得ようとする価値観がなくなったんです。本当に外で寝てたので、屋根と壁があるだけで幸せ、みたいな感じ(笑)
―― 旅した経験で、お金の感覚がガラッと変わったといえますね。
阿部:
物を欲しいと思わなくなりましたし、お金使うことで得られる物も、少なくなりましたね。
―― ついついお金を使ってしまって、なかなか節約できないという方も多いと思うんですが、どうしたらいいと思いますか?
阿部:
最低限の暮らしを知るのがいいんじゃないですかね、特に若いころのうちに。
自分はこれだけあれば生活できるという基準がわかると、結構楽になりますよ。
―― でも、いきなり最低の暮らしをしようと思っても、今の暮らしには捨てなきゃならないモノがありすぎて、そう簡単にできないと思うんです。
阿部:
うーん……、そうしたら、自分の生活を維持するためには何がどれくらいが必要なのか? と疑問を持ち続けると、意識は変わるのではないかと思います。
―― 逆に、旅をする前までお金で満たされていた心は、今は何で満たされているんですか?
阿部:
仕事かもなぁ。仕事か、子どもと遊んでる時です。雑誌を作って、それが世に出たときは嬉しいですよ。子どもが、今までできなかったことをできるようになる瞬間を見るのも、すごく気持ちいい。
お金を払うことによって得られていた快楽が、もうあんまり気持ちよくなくなってきたという感覚があるんですよね。
―― そういう気持ちよさは、一番大きく感じるのは、何をしている時ですか?
阿部:
今は『IN&OUT -ハコダテとヒト- 』を作っている時が楽しいです。やっぱり自分がやりたくてやっていることだから、すごく楽しい。
もちろん苦労して作り上げた雑誌が世に出るのも嬉しいけど。『IN&OUT -ハコダテとヒト- 』の記事を公開して、返って来る反応が気持ちよかったりしますね。
『IN&OUT -ハコダテとヒト- 』を自給自足できるメディアへ
―― 『IN&OUT -ハコダテとヒト- 』は、なぜ始めたのですか?
阿部:
ライターって、どこまでいっても受注仕事なんです。「こういう企画があるからこういう文章を書いてくれ」「ここへ取材に行ってくれ」っていう受身的な立場じゃなくて、自分が主導の仕事をやりたくなったことが大きな理由です。
結婚して子どもが生まれると地元のことも気になりますよね。自分のスキルで地元と接点を持てることがやりたくて、函館での生活経験がある人にインタビューするメディアを作りました。
―― どうして人の生き方を聞くのですか?
阿部:
18歳ぐらいのときに、僕も進路ですごく悩んだ経験があるんです。
34歳になって、子どもが生まれて、地元で子育てしたいという気持ちもあります。
でも、考えてもどうすればいいのか、答えは出ないんです。
だからいろんな人の実例を聞きたいと思ったんです。
それって僕以外にも知りたい人がいるんじゃないかなと思ったから、メディアという形にしてやることにしました。
―― 『IN&OUT -ハコダテとヒト- 』はなんらかの形で収益をあげる計画はあるんですか?
阿部:
ゆくゆくは収益をあげられるメディアにしたいとは思っています。函館にスポットを縛っている分、 ターゲットを絞った広告にはなるかもしれないですね。
でもそれよりも、メディアを始めた原点は、自分主導でやりたいっていうところにあります。できれば、モノを作って売りたいっていう気持ちがいちばん強いですね。
―― 『IN&OUT -ハコダテとヒト- 』で、これからしたいことはありますか?
自給自足のメディアを実現したいです。サイトのサーバー代や取材費は持ち出しでやっています。もちろんイベント等の売上はありますけれど、自給自足で回せるほどの売上ではないというのが現状です。
例えば、ハンバーガー1個を自分たちの手でつくって、1,000円で売るとしますよね。その仕事って、すごく健全だと思うんです。
どこかからお金をもらって商品を提供するんじゃなくて、自分たちで作ったモノを消費者に売って、お金にしていきたいと考えています。
そのために、どういったモノをつくればいいのか、現在は模索しているところです。
編集部では、Tシャツやトートバックなど、様々な商品を作る企画は上がっているんですけど、まだ実現には至っていないという状況です。
【編集後記】インタビューした感想
記事冒頭でもふれましたが、阿部さんが語った「最低限の暮らしを知る」というのは、とても印象的でした。
幸せを実感する基準が高くなると、結果的に日常生活でなかなか幸せを感じられず、不満は募るばかりです。
でも本当は、私たちの今の暮らしに、身近なところに、幸せがあるのだと思います。
阿部さんの場合は、日々、お子さんとのコミュニケーションやご自身の仕事の中に、心が満たされるポイントがあるとのこと。
自分にとって本当に必要なモノ・コトにお金を使える暮らしが、浪費を避けて楽しく生きる、秘訣ではないでしょうか。