一風変わった経歴を持ったKさん。
慶應義塾大学入学後に役者の道を目指し、ヒモ生活を経て、大学を中退。そして今では2児の父となり、夜はクラブでアルバイトをしています。
役者の頃やヒモ生活を始めた当初は、自分の好きなことに邁進していたKさんですが、2児の父になったことで「子どものために生きよう」と、人生観が大きく変化します。
彼のお金に対する価値観や、人生観を変えた家族について、話をお聞きしました。
子どもの存在で人生観が変わったKさんインタビュー
お年玉は100円だけ?お金に対する執着がなかった
── 幼少期のお話から聞かせてください。
Kさん:
神奈川県横浜市に生まれました。
平均的なふつうの家庭で、特別、甘やかされることもなく、お金に不自由することもなく育ちました。
家族構成は、ホテルのコックをしている父親と専業主婦の母親がいて、下に妹がいます。
子どもの頃は、周りからよく褒められる優等生で。勉強は意識せずともできました。
小4くらいまではかなり太っていたのですが、小5くらいから身長がグッと伸びて、そこからは運動も勉強もできて無双状態。本当に「俺が最強」って感じでした(笑)。
── その頃のお金の使い方や、お年玉の使い方はどんな感じでしたか。
Kさん:
小学生のときはお小遣いはなくて、お年玉は貯金してたと思います。お年玉は1年生で100円しかもらえず、残りは親が貯金してました。
── お年玉、100円・・・ですか?
Kさん:
はい。でも、不満はありませんでした。何か必要があれば、買ってもらえてました。
初バイトも、お金目的でなく好奇心から始めた
Kさん:
小5からバスケを始めて、そのまま中学を卒業するまで熱中していました。通っていた塾の成績もよく、中学時代も引き続き、勉強も運動もできる優等生でしたね。
高校と大学は慶應でした。「受けたら?」って塾の先生に勧められて、試しに受験してみたら慶應に受かった感じで。
高校時代もバスケ部に入部して、3年間ひたすらバスケに打ち込んでましたね。
──その頃はアルバイトなどは経験されましたか?
Kさん:
アルバイトは高校3年の最後の夏、部活を引退してから始めました。
ファミレスの店員をやってたんですが、新しいことを始めるっていう好奇心、新鮮さが勝って、正直お金のことはあんまり考えずにバイトしていましたね。
今まで部活をやっていた時間がまるっと余ってしまったので、友達と遊ぶにしても毎日は飽きますし、暇だなと。
お金はむしろおまけで、新しいことを何かひとつ始めて、それがお金につながるんだったら、ラッキーくらいのノリでした。
高3時点で「就職活動はしない」と決めた
── 高校から慶應だと、大学受験はなかったということですよね?
Kさん:
そうですね。ただ、実は高校2年生のとき、別のプレッシャーを感じていました。
── どのようなプレッシャーでしょう。
Kさん:
高偏差値の大学だから、高い意識を持って大学に入ってくる人が多いんじゃないかと思って、恐怖を感じてたんです。
それを感じ始めた段階で「就活はしなくてもいいかも」と思っていました。
いわゆるふつうの大学生が就活をして目指すような仕事はしなくてもいいかもしれないと感じたんです。何がしたいとかは、まったくなかったんですけど。
── あまり上昇志向がなかったんですか?
Kさん:
というよりは、お金持ちになりたいって欲求がなくて。ふつうに生活できるくらいのお金があればいいやと思っていました。
それはたぶん、高校に異常な金持ちの友人がいたからかもしれないです。麻布や広尾に、要塞みたいな家を持っているよう人もいたし(笑)。
すごいなとは思うんですが、じゃあ自分が今後こういうふうに暮らしていきたいかと考えると、違うなと。
それを見て「俺も金持ちになってやる!」とは思えなくて、そのときに自分の価値観を自覚したんです。
演劇しながらヒモ生活。お小遣いは16万円
Kさん:
大学に入って、高校時代のバスケ部の友だちから誘いがあり、演劇サークルに入ることにしました。
実は、幼稚園から小3くらいまで子役をやっていて、演技自体に興味があったんです。
当時、親から「30歳までは好きなことをやればいい」と言われてたのもあり、とりあえず演劇をやってみようと思って、就活はせず、事務所や劇団に所属して活動していました。
── それってぶっちゃけ、ふつうに働いている人よりも収入は少ないですよね。
Kさん:
そうですね。そのときは大学に在学しながら、バイトでお金を稼いでいたんですけど、同僚にフリーターの人もいて、本当に「生きる」だけだったらバイト生活でもいけるんだと思ってました。
同時に、自分の「ただ生きてる」という最低目標はバイトで達成できちゃうから、これはマジで、このままでは危ないという危機感はありました。
その頃、「活動支援」という名目で彼女からお金をもらっていました。
稽古・公演以外の時間は、ほとんどバイトをしていたので死にそうになっていて、「君はそんなんだったら働かなくていいよ。私がお金をあげるから。」って今の妻である当時の彼女に言われて。
── ちなみにいくらもらっていたのか聞いてもいいですか?
Kさん:
月16万もらっていましたね。
── 16万円!? すべてお小遣いですか?
Kさん:
そうですね。なんでもらえてたのかの仕組みはちょっとわからないです。
「バイトはしなくていいから、その時間は自分のための時間に使ってね」と言われてました。
── 経済力がすごいですね・・・。演劇をやめたのは経済的な理由ですか、それとも演劇自体に熱が冷めたのでしょうか?
Kさん:
それは両方あると思います。いろいろ重なるんですが、一昨年、うちの両親が父親の浮気で離婚して、僕自身が結婚しました。
本当に人生がすべて変わったタイミングでしたね。30歳まで好きなことするという人生プランもおじゃんになりました。
シングルマザーと結婚。僕は奥さんのおまけ
Kさん:
両親の離婚がなければ、人生はここまで変わってなかったと思います。
この頃、既に演劇で大学を2留してましたが、今の妻との結婚と同時に、大学と芸能活動をすっぱりやめることになりました。
お金がないのに、親の離婚で住宅ローンも押し付けられそうになって、滅茶苦茶な状況でした。
── いろんなことが重なっている中・・・大変なときに、なんでまたご自身もご結婚したんでしょうか。
Kさん:
両親が離婚する前から、彼女と結婚したいとは思っていました。彼女の人間性の高さをみて、この人以外いないと感じて。
── 20代でまだ若いですし、僕だったら「もっと遊びたい」と思ってしまいそうです。
Kさん:
たとえば、これがもしふつうの独身OLだったら、僕の経済力がないことでお互いの生活水準が下がるので、本当に迷惑だと思うんです。
でも妻はシングルマザーで、ひとりで子育てをして働きながら生きていく気だったので、僕はおまけだったんですよね。
僕のお金があろうとなかろうと、妻は自分と娘のために稼ぐと決めていたので、僕が入っても大きな問題はなかったんだと思います。
── お子さんがいることは、ハードルに感じなかったですか?
Kさん:
全然感じなかったです。初めてあったときから懐かれてましたし、小学生の娘とは今も仲良しですね。
ただ、親が離婚したタイミングでいやなことが他にもたびたび起こってしまって、自分と妻のふたりとも気を病んでしまったんです。
当時は毎日、本当に気が狂いそうになりながら生活してました。
子どもができ、この子たちのために生きようと決意
── そこから今に至るまではどうやって復活したのでしょうか?
Kさん:
子どもの存在が大きいです。
子どもにとってみたら、母親が離婚して、そこに知らない男がきて再婚して、ふたりで沈んでいたら、あまりにもかわいそうですよね?
厳しいこともあったけど、この子のためにちゃんと生きなきゃと思わされました。
同じ頃に第2児の妊娠と出産があって。
当時は本当にもうダメだって気持ちだったんですけど、やることはやってたんですよね・・・(笑)。
第2子ができて、吹っ切れました。もうそこからは「がんばろう! もう産むしかない!」って、ふたりでひたすら前を向くしかない状況でした。
それまでやってたことを全部やめて、妻子持ちの状態で家族のために生きていこうって腹を決めた瞬間。
そこからは主夫をしながら、クラブのアルバイトも開始しました。
傍目から見ると、自分がやってた夢を諦めて、仕方がなく家庭に入っているように見られてしまうかもしれません。
でも、そういうわけではなく、単純に自分がこの先をもっと気持ちよく生きて行こうと思ったとき、僕は演劇ではなく、家族を選択したんです。
── 二児の父になられた今、今後の将来像や、理想像ってありますか?
今のクラブのアルバイトは正直、長期的に続けられるような職ではないと思っています。上の子が成長して、僕のことを糾弾し始める前に(笑)、子どもに誇れるような仕事をしていたいと考えています。
最終的には、子どもたちに何かを残せるようになるくらいの人間になっていたいし、お金も稼いでいきたいなって思っています。
【編集後記】インタビューを終えて
生きていると、様々な大きな選択があると思います。
自分の気づかぬうちに、いつのまにか本来の気持ちから外れて、他の誰かの常識や理想のために選択をしてしまうこともあるかもしれません。
今回、何より印象的だったのは、Kさん自身の周りに囚われない強さです。
常にKさん自身が、自分の感覚や考えを大切に選択してきたからこそ、辛い状況があっても他責にせず、前向きに人生を捉えられているのではないかと思いました。
当初、Kさんの目標は「30歳までは自分の好きなことをする」というものでしたが、今は「子ども達のために30歳までに自分自身が誇れるような長期的にできる仕事をする」という目標に変わりました。
自分のためだけじゃなく、家族のために生きる決意をしたKさんの表情は、清々しく、晴れやかに見えました。