「父がプロレスラー」と聞くと、どんな家族を思い浮かべますか?
プロレスラーというと、テレビ番組に出るほどの人気のレスラーを頭に浮かべる人も多いかもしれません。
しかし、実際には、そうやって日本中の人々が知っているプロレスラーの他に、何百人ものプロレスラーがいます。
今回お話をうかがったYさんのお父さんは、プロレスラーと言っても、いわゆる「自営業」。自らで事業をつくって、お金を稼がなくては、生活が立ち行かなくなってしまう立場でした。
Yさんは関東のとある県で生まれ、現在は30歳。
そんなYさんの人生の中でも「父がプロレスラーだったからこそ」のお話をいろいろと伺ってきました。
決して事業がうまくいっていたわけではないプロレスラーの父について、Yさんはあるとき、2ちゃんねるの書き込みを見つけます。その書き込みを見て初めて知った、父の密かな想いとは。
父がプロレスラーだったYさんインタビュー
実家にはジムが併設されていた
── 今日はですね。Yさんのお父さんがもともとプロレスラーだったと聞いて、やってきました。
Yさん:
はい、ありがとうございます。僕に話せることならなんでもお話します。
── はじめに軽くYさんの経歴を聞いてもよいですか?
Yさん:
大学を卒業してから、ゲームの制作会社で働いたり、人材派遣会社の事務をしたりしてきて、今は家電業界で働いています。
── 物心ついたときはすでにお父さんはプロレスラーだったんですか?
Yさん:
そうですね。最初は有名なプロレス団体にいたらしくて。
── みんなが知っているような団体?
Yさん:
そうです。30前後より上の年代の人なら、聞いたことない人はいないんじゃないかなと思います。
僕が今、30歳なんですけど、30年以上前の話ですね。その頃はすごくプロレスにとってバブルの時代だったんですね。
── じゃあ、実家はお金持ちって感じですか?
Yさん:
僕が生まれてすぐくらいに一戸建てを買ったらしくて、あるときまではずっとそこに住んでいました。
駅近で、海が近くて、友だちの家とかと比べてみても、すごくいい家だったと思います。
── いわゆる「庭付き一戸建て」ってやつですか。
Yさん:
庭は広くはなかったですけど、ありました。変わってたのは、実家は一階がジムだったんですよ。
── えっ、すごい。
Yさん:
身体を鍛える設備がすごく揃っていて。なんでかというともちろん、プロレスラーだからなんですけど(笑)。
だからたまに試合とか巡業があるときはいないですけど、基本的に、ずっと家にいるんですよオヤジが。夜は酒飲んでました。
プロレスラーを父に持つ子どもの心境
── 「父がプロレスラー」ってどういう心境なんですか?「あっ、お父さんはプロレスラーなんだ」って気づいたというか、理解したのはいつごろですか。
Yさん:
いやー、覚えてないですね。物心つく前からオヤジの興行はよく観に行ってたので。
普通は親がサラリーマンとかですよね?
でも僕は、サラリーマンとか理解する前の段階から、オヤジの興行を観に行っていて、格闘する姿は観ていたので、なんとなく「戦ってる!」「すごい!」みたいな思いでした。
人前に出て、ワーワー歓声を浴びていたので、小さいときから「なんかよくわからないけど、すごい人なのかなー」って感じでしたね。
── 周りの友人とかにこんなこと言われた、とか何かありますか? 父がプロレスラーだったら、いろいろツッコまれそうだなって思って。
Yさん:
幼稚園くらいのときは友だちも「なんかすげー!」って扱いでしたね。
小学生になると・・・僕は当時かなり乱暴な子どもだったので、教師からは「親の影響だろう」って言われてました。
ただ、高校くらいからはプロレス人気がだんだん下火になっていたもあって、そもそも周りの友人に言わなかったですね。
新団体に引き抜かれた父
── なるほど。お父さんはずっとプロレスラーとしてご活躍されていたんですか?
Yさん:
さっき言った人気のある大きな団体は辞めてしまって。
ある社長に気に入られて、「新しいプロレス団体を一緒に立ち上げよう」って話を持ちかけられたんです。
いわゆる引き抜きですね。「給料も上がるから」ってことで挑戦してみたそうなんですが、その団体は、何年も持たずに潰れてしまいました。
そこから、うちの家族はだんだん仲が悪くなっていきました。そもそも両親はあまり仲がよくなくて、ケンカばかりしていたんですけど。
ふたりの教育方針がバラバラで、父は九州男児で、なんというか、ゴリゴリに育てたかったみたいなんですね。強い子にしたい、みたいな。
母親は自分自身が、親がそこそこ年を重ねてから生まれた子どもで、いわば、お嬢さまとして育てられたらしくて。
だから子どもを育てるにあたって反りが合わなかったみたいで。父は時には子どもにパシン!って手を挙げることもあって。
でも母はそういうのをすごく嫌がる人でした。
自らの事業を立ち上げた父
── おおお。知人社長との団体が潰れてしまい、そのあとはどうなったんですか?
Yさん:
結局、小さい自分の団体をつくって、自分で運営していくという道を選んだんです。当時はまだプロレス人気もあったので、いけるだろうって思ったんでしょうね。
── その時点でめちゃくちゃ茨の道なことがすっごくイメージできますね・・・。
Yさん:
90年代から2000年代にかけて、プロレス業界全体が総合格闘技に押されて、どんどん下火になっていったんです。だから結局、どの道を選んでいたとしても、うまくはいっていなかったんでしょうね。
さらにオヤジは典型的な、事業を失敗させてしまうタイプだったんだと思います。
── と、言いますと、それはなぜでしょう?
Yさん:
収入が明らかに減っているのに「支出を減らす」「生活レベルを下げる」ということができなかったタイプなんですよ。
── それって何歳くらいのときに気づいたことなんですか?
Yさん:
僕が小学校一年か二年だったので、今から20年以上前の話なんですけど。母が看護師で、働き始めまして。
それを見て、数年経ったあとに気づいたんですけど「ああ、ちょっとお金が足りないから母親も働かなきゃいけないんだなあ」と思いました。
── お父さんの事業はうまくいかなかったということですね?
Yさん:
そうですね。
両親があるとき家で「お金が足りない」って、口論をしていたんですよ。その記憶が頭の中にこびりついていて。
めちゃくちゃ怖かったんですよね。それを聞いて僕は泣き出してしまって。トラウマですね・・・(笑)。
で、今度は僕が高校3年のときに、ある日「今、うちはお金が回ってません。これだけ借金があります。もう無理です」みたいに発表されたことがあって(笑)。
── なるほど(笑)。家族会議ですね・・・。でも、想像するだけで怖いですよね。プロレスの興行をやって、全然人が入らなくてチケットが売れなければ、一発ですごい借金になりそうですもんね。
Yさん:
そうなんですよ。そもそもプロレス自体の人気が落ちているから、お客さんが入らなかったんだと思います。
ちなみに両親はそのときから、別々に住むことになりました。一家離散というやつです。
Yさんの金銭感覚と仕事観
── とはいえそのあと、Yさんを大学に行かせてくれたわけですよね?
Yさん:
そうですね、最初は親が学費を出してくれて、大学に通うことができました。
── 最初は?
Yさん:
最後の一年は、自分で学費を出したんです。それこそ、払えなかったので人に借りたりしつつ、なんとか学費をつくって払いました。
その後、オヤジは50代で完全にプロレスは辞めて、いくつか仕事を転々としたんですけど、うまく馴染めなかったみたいで。
結局そのまま60歳を過ぎて、今は年金生活です。
── 今は連絡を取ることあるんですか?
Yさん:
たまにですかね。
── 今は、ご自身の金銭感覚ってどうだと思います?
Yさん:
大学を卒業してから、フリーターやったり、ろくに働かなかったりして、ダラダラやってきたというのが正直なところなんですけど。
20代も後半に差し掛かった頃からですかねえ・・・。ここ数年は、やっと自分で稼いで、自分の力で得たお金だけで生活するようになりました。
正社員で働いているのは2社目なんですけど、今は残業代が出る会社で、がんばった分だけ残業代がもらえるので、そこは満足してますね。
でもそうなってくると、ちょこっと欲も出てきて、もっとお金が稼げる仕事に転職しようかなとも考えています。
2ちゃんねるに書いてあった父の思い
── 今はお父さんのことをどんなふうに思ってるんですか?
Yさん:
オヤジが最初にいた有名な団体から抜けて、自分で事業やったりして失敗しているのを見て、僕はずっと「何やってるんだろうこの人は」って思ってたんですよ。
有名な団体で続ければ、こんなに苦労することはなかったのにって怒ってたわけです。
でも、あるときオヤジの2ちゃんねるのスレッドを見たことがあったんですよ。
── 2ちゃんねるにスレッドがあるくらい有名な方だったんですね。
Yさん:
ですかね。そこに「昔、◯◯さん(父のリングネーム)と話したことがあるんだけど、『子どもができて、巡業で日本中を周っていると一緒にいられる時間が少なくなってしまうから、自分の地元で団体を立ち上げた』って言ってた」という書き込みがあって・・・。
── つまり、それがYさんのことなんですね。
Yさん:
そうなんだと思います。あの頃の選択は、そうやって子どもである僕のことを考えての行動だったのかなあと今は納得しています。
だから、そんなに関係が当時と変わったってこともないんですけど、今では父のことを感謝していますよ。