街にあるライブハウス。どんなふうに経営が成り立っているか知っていますか? また、その店長はどんな仕事をしているか知っていますか?
神奈川県小田原市、鴨宮駅から徒歩約10分ほどの場所にあるライブハウス姿麗人(しゃれいど)。
その店長・亀井栄さんに、ライブハウスの経営について、どんなお仕事をしているのかについて、はたまた昨今の音楽やライブハウスを取り巻く環境について、お話を聞いてきました。
亀井栄さんインタビュー
インタビュー日:2017年11月4日
ライブハウスは家業だった
── はじめに、どういう経緯でライブハウスの店長になったのか聞いてもよいですか?
亀井:
僕の場合はレアなケースなんですけど、ライブハウスが家業だったんです。もともと、おじいちゃんがここでダンスホールをやっていました。
そのおじいちゃんが亡くなって、父がここを継いだんですが、父は踊れないので貸しホールとして営業するようになったそうで。
その頃、バンドブームの時代だったから、ホールとして貸している場所に楽器を持ってきて練習するやつがたくさんいたらしくて。
あるとき「おじさん、ここをライブハウスにしようよ」って言ってきた若者がいたらしいんですね。で、親父は、音楽は好きだったので、じゃあやっちゃうかっつって、見よう見まねでライブハウスにしたんです。
── じゃあ時代の流れに合わせてライブハウスになっていった?
亀井:
そういうことですね。僕はというと、小田原で生まれ育って、18歳になってからバンド活動のために都内に出たんです。
ただ、バンドをやっていく中で煮詰まっちゃった時期があって。
バンド活動をしながらも、ライブのブッキングをしたりしてたから、そういう仕事をメインにしようかなって思ったんです。バンドをやっていくのもいいけど、ライブハウスの経営っておもしろそうだなって。
そしてここへ戻ってきたのですが、もともと見よう見まねでつくったライブハウスだったので、都内に比べると設備が遅れていたんですね。
そこから10年かけて、ステージや照明を借金して作り直して。音響もやっぱり新しくなっていくから、スピーカーをいいものに入れ替えたりして、今に至ってます。
インディーズでCDデビューしたのち、ライブハウス経営へ
── バンド活動をしていたということですが、もともと音楽が好きだったんですか?
亀井:
父がここをライブハウスに変えていくところを見ながら育ったので、必然的に音楽に興味がありました。中学のときは友だちとふたりでギター弾いて、ブルーハーツ歌ったりして。
高校に入ってから軽音部に所属して、バンドを始めました。高校三年生のときに出た大会で準優勝して、ドラムで個人賞をもらうことができたんですね。
それで、そのまま音楽をやりたいって踏ん切りがついて、音楽の専門学校に行きました。で、そこで組んでたバンドでインディーズでCDを出すことになって。
それが、藍坊主というバンドなのですが、その後、バンドがメジャーデビューするタイミングで僕はバンドを脱退して、ライブハウス経営のほうに回りました。
「ライブハウスの店長」という仕事について
── ライブハウスの店長の仕事ってどういう内容なんでしょうか?
亀井:
ライブハウスを運営する会社の規模にもよるんですけど、うちの場合は、主に会計回りを見たりとか。経理や人事も、すべて店長業務ですね。バイトのシフトを組むのも全部僕の仕事です。
僕の場合は、小学生の頃はここが貸しホールだったけれど、中学にときにライブハウスに変わって。
土日にイベントがあると家に誰もいないわけですよ。で、親にここに連れて来られて、「ここで(ライブを)見てろ」って座らされたのがPA卓(音響設備の席)だったりとか。
そこでPAさんが何をやってるのか見てたから、僕は高校生のときからPAを見よう見まねでやっていて、今でもやっていますね。
ライブハウスの収入源
── ライブハウスの収入源って、ライブのチケットが売れて収益になるのはなんとなく想像つくのですが、実際どうなっているんでしょうか。
亀井:
はい。それは基本的に間違っていなくて、まずチケットの収益が会場側と出演者側で分配されます。
あとはホールレンタル。イベンターさんやバンドさんにここをお貸ししちゃう日もあります。そういう日はホール使用料をもらいますね。
ホールレンタルの日でもライブをやろうと思ったら、PAオペレーターとか照明オペレーター、あとは受付を設けるならエントランスのスタッフが必要になるので、そのあたりの人件費ももらうことが多いです。
もちろん、イベンターさんが自分たちで手配するのであればもらわないですけど。
── チケットの売上の分配率って決まってるんですか?
亀井:
イベントによって割合は違いますね。
売上を一枚目から折半にする場合もあれば。「まだまだこれから」っていうバンドには、俗にいうチケットノルマというやり方があって。
20枚までの売り上げは全てお店に入ります、それ以上の売り上げは半分戻します……っていう風に、バンドによって条件が変わってきますね。
── どこに基準があるのか、難しそうですね。
亀井:
そうですね。特に今、チケットノルマ制っていうのは破たんしてきている現状があって。
というのは、今はライブもできるカフェバーみたいな場所が増えてきていて。そういうところは基本的に出演料がないんです。だからチケットノルマもない。
チケットノルマを課すのって、まだ実力が足りていないバンドを育てるためにも、自分たちでお客さんを呼ばせるようにしている側面もあります。
ライブハウスの店長が言うと、ちょっと恩着せがましいかもしれませんが。逆に言うと、ノルマを設けないとお客さんを呼べないんですよ。
ノルマが、自分たちでお客さんを呼ぶ努力や工夫をする原動力になるっていう話ですね。それをやらないと、結局どこにも売り上げが立たないので、バンドも苦しければ箱も苦しい。
── 悪循環になっちゃう。
亀井:
そうなんです。ただ、ノルマが掛からないような箱が増えたおかげで、その仕組みは破たんしつつありますね。
カフェバーとライブハウスの違い
── カフェバーっていうお話が出ましたけど、ライブハウスとカフェバーはどこが違うんですか?
亀井:
区分は難しいんですけど、僕らの感覚からいうとドリンク代だけで商売しているところをライブハウスと言っています。ドリンク代はウチでも貴重な収入源です。
フードだったりとか、CDとか物販系を強くしているところも中にはあるんですけど、ご飯とかを提供しているお店は飲食寄りになる印象ですね。
会場費を取らない分、フードとかで利益を出して、飲食店寄りにしていくのが「ライブもできるカフェバー」なのかなって思っています。
他に厳密に定義するとしたら、ドラムの音をスピーカーを通して出すのがライブハウス。
カフェバーは広くないので、ドラムをスピーカーを通さないで生音だけでやっていたりしますね。
ライブハウスのライバル
── 経営的なお話になりますけど、ライブハウスのライバルとして、他のお店のこととか意識しますか?
亀井:
正直に言うと、これまであんまり考えてはこなかったのですが、もちろん他のお店の影響はなくはないです。
距離は離れていますが、この辺だったら伊勢原や厚木、藤沢にもライブハウスはあります。やっぱり箱根や小田原のバンドでも、そっちに出ちゃう子たちもいます。
あとはやっぱり、小田原にも何軒かあるカフェバーがライバルと言えばライバルで。世代が少し上の大人たちはそっちに流れていってる部分はありますね。
ライブハウスで大きな音でやる音楽じゃなくて、アコースティックで弾き語りの音楽を演ったり聴いたりするのにちょうどいいすごく雰囲気のいいお店があるんです。
それなりに有名なミュージシャンも、弾き語りライブはそこでやりますからね。うちの規模(マックス160人)じゃ合わないんですよ。
── 大きすぎるっていうことですか?
亀井:
そうそう。スタンディングで160人入れたかったらいいんですけど、そこそこ有名でもその人数に届かないんだったら、場所代に10万とか払うくらいなら箱代2万のところでやったほうがお得だし、小回りが効くんですよね。
イベントをやること自体も簡単になったし。それこそスピーカーも安く買えるし、イベントをするための専門知識もそんなにいらない。それはもう、いい悪いではなくて、時代の流れですよね。
ここ10年でツアーバンドが多かった時期は民主党政権時代
── 逆に、亀井さんが店長をやっている間で、バンドが一番集まっていた時期っていつですか?
亀井:
民主党政権時代ですね。
── えっ、民主党政権時代?
亀井:
そうなんです。なんでかっていうと、その頃は、高速道路の料金の上限が1000円だったんです。全国に、ガソリン代だけで行けたんですよ。
だから全国ツアーを回るバンドがめちゃくちゃいたんです(笑)。
── ああ! なるほど!
亀井:
地方のカッコいいバンドがバンバン回ってきて、カッコいいバンドを見る機会も多くて、そうなると、地元のバンドもがんばるし、バンドシーンも活性化するんです。
── それはすごくおもしろい話ですね。
亀井:
土日にお出かけしたいファミリーや運送業ももちろん助かったんだろうけど、バンドシーン、ライブハウスシーンにもそういう恩恵がありましたね。
理想の未来
── 今後の展望というか、ライブハウスとして、どうなっていくのが理想ですか?
亀井:
やっぱり僕は音楽が好きだし、音楽が好きな人は老若男女問わずいっぱいいると思うので、そういう人たちが集まれる場所であり続けたいなとは思ってますね。
自分が、音楽っていうコンテンツを疑ったらけっこうヤバそうだなとは考えていて。
半ば疑いかけてもいるし……「金になんねーのかなこれ。明らかに10年前よりならなくなってきてるよな」というのは事実だし、そうやって思っちゃう瞬間もあるにはあるんですけど(笑)。
でも俺も好きでレコード買ってるうちは、まだまだいけるかなって思っていますね。
ここ数年の間に小田原駅周辺から、タワーレコードと楽器屋が撤退したんです。それって、けっこう痛いんですよ。若者が音楽に触れる機会が、なくなったということなので。
そういう時代だからこそ、「場」をなくしちゃいけないんだろうなって感じはします。
実際、年に数回しかライブをしない社会人バンドとかもいて。そういう連中を見ていて、すっげー楽しそうなんです。やっぱりライブハウスが無くなってしまうと、その人たちの行き場が無くなってしまう。
それはもったいないし、寂しい想いもあるので、やっぱり音楽好きな連中が集まれる場所を続けたいですね。さらにそこでお酒を飲めたりして、楽しい場所であれたらいいなってとこかな。
【編集後記】インタビューした感想
ライブハウスのお金事情をリアルに聞ける機会などなかなかないので、今回うかがったお話は非常に勉強になりました。
中でも高速道路の料金の上限が1000円だった時期に、バンドシーンもすごく盛り上がったという話は、業界の内部にいなければ知る機会のないことなのではないかと思います。
90年代に比べ、今はどんどんCDの売れない時代になってきています。
でも、だからこそ“リアルな体験”として音楽を大きな音で身体に浴びることのできるライブハウスのような場所の重要性も高まってきています。
音楽好きの集まる場所として、今後も小田原・姿麗人をはじめライブハウスを応援していきたい気持ちの高まった取材でした。