今回は、ノマド的節約術の松本と、ノマド的節約術の経理を担当してくれている石下敏久(いしげとしひさ)さんによる対談です。
石下さんは大学を留年し、派遣社員の仕事をしていたら正社員へと登用され、あるきっかけで関東から関西へと住む場所を変えます。
経理の仕事を始めてからは、ブラック企業に勤務した経験もあり、驚くようなエピソードが出てきました。
そんな波乱万丈な石下さんの人生と、「財務経理コンサルタント」としての仕事内容と、松本との関わりをうかがいました。
財務経理コンサルタント石下さん×ノマド的節約術松本対談
インタビュー日:2016年9月15日(木)
財務経理コンサルタントってどんなお仕事?
── まずは石下さんのお仕事について、具体的にどんなお仕事なのか、うかがってもよいでしょうか。
石下敏久(以下、石下):
肩書きは「財務経理コンサルタント」としています。一言で言うと、法人さんの経理とか財務の仕事を請け負っています。
大きな会社であれば、常駐の経理の方がいて、そういう方がいないとなかなか回らないんです。
でも、小さい会社、20人から30人くらいの会社であれば、月1回だけとか月2、3回で経理の仕事を回せるんですね。それを、請け負うのがひとつ。
もうひとつは、会社には顧問の税理士の先生がいるのが一般的なのですが、税理士さんとデータのやり取りをして、コンサルティングをするのが、もうひとつの仕事です。
── 税理士さんとは別に石下さんがいると助かるポイントというのはどこにあるんでしょうか?
石下:
たとえば小さい会社だと、税理士さんに提出する資料の段階で、やり方がわからなくて、ぐちゃぐちゃになってしまっている場合があります。または、税理士さんからまとめてもらった数字を見ても、何がなんだかわからない。
簡単に言うと、税理士さんがやることの前後、ビフォーの部分とアフターの部分をケアするのが、大きな仕事です。
ノマド的節約術にとっても大切な存在
── ノマド的節約術を運営する会社である合同会社cocowaの場合は、どんなことをするんですか?
石下:
松本さんの場合は、今はコンサルティングの部分だけやっています。つまりほとんどの作業を税理士さんにお願いしている状態なのですが、税理士さんだけだと、タイムラグができちゃうんですね。
松本博樹(以下、松本):
そうなんですよね。これは、税理士さんが悪いわけではないんですけど、タイムラグがあると、自分で何がなんだかわからなくなる(笑)。
石下:
郵送して、記帳してもらって、僕が見てだと、下手すると2週間から1ヶ月空いてしまうこともあります。だから税理士さんに提出する前段階、ビフォーの部分もお手伝いする必要があって。
松本:
半年前までは、毎月石下さんと打ち合わせして、月ごとの収支を見て、これからどうやっていこうって戦略を立てて、アドバイスをいただいてました。
今は一旦それは止めていたのですが、再開する予定です。
石下:
決算を迎えたタイミングなので、改めてもう一度、ビフォーとアフターどっちもやろうとしているのが今ですね。
松本さん自身が資料を集めて郵送するとか、その辺りの手間も結構かかってくるんですよね。
松本:
そうそう。それがかなりめんどくさいです(笑)。
── ビフォーは税理士さんに提出する資料を整える作業ですよね。アフターは、具体的にはどういった部分なんですか?
石下:
資金の回り方と、利益の出方、今後の予測。この3つを見ます。一番大事なのは資金なので、来月再来月で、どういう資金の回り方をするのか把握します。
その会社の業務内容にどっぷり浸かっていないとなかなかわからない事が多く、数字だけだと中身が見えにくい。
松本:
今はメディアごとに売上を記録して、経費をどれくらい使っていて、たとえば8月末時点でどれくらい利益が出ているのか、またはマイナスになっているのか、毎月見られるようになっています。
それは、石下さんが考えてくれたものなんです。
様々な業種の方と仕事をしている
── 事業内容によってどういうふうにお金が生まれてるのか、詳細にわからないとできないお仕事ってことですよね。
石下:
なかなか難しいかもしれませんね。実際に財務経理系のコンサルタントって、業種を絞っている方がすごく多いんですよ。
たとえばお医者さんとか歯医者さんに行ってますとか、飲食に絞ってますとか。それは理にかなっていて、業界のことをよく知っているからやりやすいってことです。
僕はひとつの業種に絞るよりは、自分の好奇心としていろいろ見てみたいというのがあって。いろんな業種でやらせてもらっています。
── 業種を聞いても大丈夫でしょうか?
石下:
本当にいろいろですね。内科の医院とか、歯医者さんとか、あとはイベント会社もあるし、産業機械を作っている会社とか。
あとは、不動産会社、教育系の会社、IT系の会社、看板製作をしている会社……みたいな感じですね。
松本:
幅広いですねえ。
── 業種としてITもお話に挙がりましたが、ノマド的節約術に関して言うと、サイト運営について学ばれたんですか?
石下:
僕が何か書籍を読んで学んだということはなくて、松本さんに聞きながら学んでいったという感じですね。
こういう流れで、こういうふうにお金って入ってくるんだっていうのを、OJTじゃないですけど、現場主義で覚えていったような感じですかね。
ライバルは「経理のおばちゃん」
石下:
僕が今やっている仕事は、誰もやってる人がいないという意味ではブルーオーシャンなんですけど、悪く言うと説明するのが難しい仕事で。
たとえば「税理士です」とか「プログラマーです」って、肩書きで「ああ、この人はあの仕事なんだ」って、普通はわかりますよね。
僕の場合はだいたい「経理の仕事をしてるんです」と言うと「税理士ですか?」と聞かれてしまう。説明するのはすごく大変です。
ただ、税理士さんはどの会社でも設立時から顧問の方がいますが、僕がやらせてもらう仕事は不在の場合も多いので、うまく説明できると仕事はとりやすいんです。
松本:
むしろ税理士さんとタッグを組んで、互いに補う感じですよね。
石下:
そうですね。僕の仕事は顧問がいない分、税理士さんよりとりやすいかもしれない。ライバルがいるとしたら「経理のおばちゃん」みたいな方々なんですね。
ただ、経理のおばちゃんには絶対に負けない自信があります(笑)。4、5名くらいの会社であれば、パートさんを雇うよりも、僕にやらせてもらったほうが確実だし、コストもかかりません。
検索でノマド的節約術に遭遇した石下さん
── おふたりの出会いについても聞かせてください。
石下:
4、5年前になると思うんですけど。僕は当時、育休を取得していて、いろいろあって独立を検討していたんですね。
そういう時期に、お金を稼ぐことも考えなければいけないけど、まず節約をしないといけないなと思って検索したときに出てきたのが、ノマド的節約術だったんです。
松本:
ほんとに初期ですよね。2011年の始めたばかりの頃でした。
石下:
面白いことを書いてる人がいるなって思いました。そのときにプロフィールとか見て、「あ、この人神戸の人なんだ」と気づいたんですね。
とりあえずツイッターをフォローしとこうって思って、たまたまカフーツってコワーキングスペースでセミナーをやってて、そこで初めて会いました。
── その時期だと、松本さんは登壇とかされてたわけじゃないですよね?
松本:
参加者でしたね。
石下:
僕も松本さんも参加者。
── じゃあ、しゃべってる中で「あっ!」てなったんですか?
石下:
来るっていうのはなんとなくツイッターで知ってたんで、ご挨拶だけさせていただきますみたいなことを、メンション返したのは覚えてますね。
たまたまお互い神戸に住んでいて、たまたま連絡してという、ほんとに偶然のつながりですね。
育児休暇中に起業準備をしていった
── 第一印象とか覚えてますか?
松本:
当時、石下さんは育休を取ってたので、その時点ですごい人やなあって。石下さんと仕事をしていると、いろいろお金の話ができるのが大きいですね。
結構石下さんに教えてもらったことは多くて、社会保障系とか税金周りのこととか、だいぶ詳しくなりました。
── 育休は今でこそ多少話題になりますが、4、5年前と言ったら今よりもさらに男性の育休の話は聞く機会が少なかったですよね。
石下:
自分で会社を立ち上げる前段階に育休を取得するのって、実はものすごくメリットが大きくて。
松本:
そうですよね、その頃にいろいろ準備されてましたもんね。
石下:
そうなんです。大体、60%くらいの給料が毎月保証された上で、社会保険料が一切無しになるんですよ。手取りベースで考えたら、だいたい7割くらいの収入が毎月入る。
その状態で起業するのは、裸一貫で始めるよりは全然楽なんですよね。
松本:
よくそういう話してましたよね。
育児休暇中に、起業せざるを得ない状況に
石下:
実はもともと育児休暇を取得した理由は、自分で会社を立ち上げたかったわけではなくて。子どもと妻が病気になってしまって、休まないとどうしようもない状態になったのがスタートなんです。
子どもがふたりいまして、下の子が生まれて病気になってしまって、生まれて数ヶ月なのに2週間くらい入院してたんです。入院したと同時に、上の子も病気になってまた入院して。
それをずっと看てた妻が、心身疲れてしまって、精神的に参ってしまいました。入院はなんとかせずにすんだけど、家事はできないみたいな状態になってしまったんです。
この状態で会社に行って仕事をするわけにはいかないなと思って、申し訳ないってことで育児休暇を取らせてもらいました。
そのあと、下の子はすくすくと健康に育ってくれましたけど、上の子はずっと肺炎とかアレルギーとかで大変だったし、妻もあんまり調子よくなかった。
そんな時期に、実家の父親が亡くなってしまって。当時はすごく暗黒時代だったなって、今思えば思えるんですけど。そういうことが重なって、会社に行ってられる状態ではなくて。
半年くらいしたところで多少落ち着いて、時間もだんだん取れるようになってきたので、稼ぐ方法を考えないとなと思っていたところでノマド的節約術に出会ったんです。
起業当初は、何をするか決めていなかった
石下:
最初は、何をして起業したらいいかまったくわかりませんでした。
── そのときは、経理のお仕事をされてたわけではないんですか?
石下:
もともとしてたんだけど、独立して何をやるかはまったく考えてなかったんですね。育児休暇をとったんで、育休向けのコンサルじゃないですけど、セミナーみたいなのをやるとか。
あとは、アロマテラピーの資格を持っているので、その仕事をやるとか。すごくいろんなことを考えた中で、経理の仕事をしてたから、それもやりました。
当時は、今の仕事はまだその中のひとつでしかなく、すごく劣等感があって。僕は別に税理士でも公認会計士でもないんです。
経理の仕事で独立しても、彼らに勝つことはできないって勝手に思ってたんですね。だから、経理の仕事で独立はしたくないなって思っていました。
松本:
それがまたなんで、経理でやっていこうってなったんですか?
石下:
なんでかなあ。コワーキングスペースでいろんな人と話をしていく中で、経理の仕事をしてたから、経理のことをすごくよく聞かれたんです。
松本:
みんながめっちゃ石下さんのことを、頼ってましたもんね。
石下:
記帳とか、何していいかわからないとかいうような感じで、いろんなことを聞かれるようになって。そのうちセミナーやろうという話になって、やってみて。そんな感じでスタートしていきました。
松本:
当時ってコワーキングスペースにIT系の人ばっかりだったから、石下さんみたいに経理を専門にしてる人が来るだけで、すごい貴重な存在でしたね。もちろんそれは、今もですけど。
石下:
2012年の11月にやったセミナーが、フリーランスで一番最初に得た収入だったんじゃないかなぁ。そのあと、いろんなとこに顔出すようになりましたね。
もともと会社員でこういうことやってて、こういうことやりたいんです、みたいなことを言ってたら、だんだんと声をかけてもらえるようになってきて。
「ちょっと面白いんでうちの会社の社長に会ってくれないか」みたいな感じで、会って話したら、「来月から来てもらえるかな」みたいな話になったりとか。
松本:
話が早い(笑)。
石下さんが歩んできたこれまでの道
── 石下さんご自身のお話もお聞きしていいですか? これまでどういう道のちを歩んできたんでしょうか。
石下:
笑ってしまう話なんですけど、大学留年したんですよ。単位が2単位足りなくて、卒業できなかったんです。
そのとき僕はスキーに行ってて、偉そうに東京にいる後輩に電話かけて「俺の名前、たぶん卒業者のところに書いてあると思うから見てこい」みたいなこと言って見に行かせてたんですね。
そしたら「石下さん、ないっすよ?」って言われて。「いや、嘘やろ」「ホントにないっすよ」「マジで!」とか言って(笑)。それで内定をもらっていたのですが内定取り消しになりました。
── なんと・・・。
石下:
結局、半期卒業という制度があって、1998年の9月に卒業しました。でも、内定も取り消しになったし、疲れてしまって、全然就活もしないでバイトばっかりやってたんです。
学校も2単位だから、週に1回だけ行けばよくて、9月までバイトばっかりやってました。卒業したあともバイトやってたんやけど、こんなんじゃまずいよなと思って(笑)。
そのあと12月ぐらいに仕事を探し始めたんです。派遣社員で、大手食品メーカーの会社に入りました。受注センターの派遣社員の仕事をやったんです。
「時給1400円で高いし」って思いながら、正社員じゃないけど、これでいいわーって思ってましたね。
半年くらいやったら、その当時の上司が認めてくれて「お前、正社員でいいよ」と言われて正社員になりました(笑)。
── えっ、大手食品メーカーの正社員ですか? すごいですね。
石下:
そうなんですよ。で、人事の仕事をやってほしいということになって。人事の仕事を正社員で、そのあと何年かやりました。
この時点では経理は全然やってないんですが、社会保険とか労働保険のことを学べて、今もそれが活きていますね。
── ちなみに、大学のときに内定もらってたのは何系の会社だったんですか?
石下:
内定もらってたのはコンサル系の会社ですね。全然大手じゃなかったので、どっちかっていうと結果的にラッキーやったよなってみんなに言われました(笑)。
奥さんのために関西へ
松本:
東京だったんですか?
石下:
当時は本社が東京にあったので、そこでした。そのあと3、4年働いていく中で、今の妻と結婚するという話になったんですね。妻も当時は、関東に来て関東で仕事してました。
僕の地元は栃木なんですけど、東京から栃木に転勤になったんですよ。人事とか経理を統括してるセンターが栃木の宇都宮だったんです。その頃は実家から通っていました。
そのあと、妻は神戸の人なんですけど、当時は東京にいたので、栃木まで呼んで、ふたりで住んでたんです。まだ結婚してなくて、同棲だったんですけど。
しばらくは仲良くやってたんですけど、妻のお父さんとお母さんが同じ時期に体調を崩して、倒れてしまって。妻は兵庫県に帰らないといけないということになりました。
同棲をやめて、妻は兵庫県に帰って、僕は一緒に住んでた家を解約して、また実家から会社に通う日々になったんですけど。
── 遠距離恋愛みたいな形ってことですね。
石下:
ですね。そうしていたら、妻も兵庫県で大変だということで、結婚もできないので「じゃあいいわ、俺、会社辞めてそっち行くわ」ということになったんですね。
松本:
かっこいいー!
── かっこいいですね。なかなかそういう決断できないですよね。
石下:
なんにも考えずにこっち来てしまったんです(笑)。
松本:
めっちゃ面白いじゃないですか。
石下:
別にその食品メーカーの会社がいやだったわけではまったくないんです。
いろんな会社にいた中で、上司とか同僚も一番いい会社だったなあと今は思います。
2003、4年くらいに関西に出て来るんですけど、当然、こっちのことなんかなにもわからなくて。就職活動してて、税理士の資格を取りたいと思ったんです。
税理士事務所を見ていて、すぐ内定をもらえたんですね。場所は大阪です。で・・・そこがすさまじいブラック企業で(笑)。あれはすごかったです、ははは(笑)。
ブラック企業で働いた思い出
── ブラック企業は、どうすごかったんですか?
石下:
まず最初に、7時半に出勤して、1時間掃除をするんですよ。
── えっ。
石下:
そのあと朝礼がね、1時間半ぐらいあるんです。
── えええー?(笑)。
松本:
いろいろすごい。
石下:
で、そのあと音楽が流れてきて、その音楽に合わせて踊りながら社歌を歌う。
松本:
へえー、怖っ(笑)。
石下:
その社歌の踊りが、だらっとやってると「やり直し!」って言われるんです。本気でやらなくちゃいけない。
社歌の最後に、右手を突き上げて「やったるでー!」って言うんですけど、僕は関東人なので、その発音ができないんです。「やったるでー」と言うと「なんやねんお前の発音はー!」って怒られて(笑)。
そのとき関西が初めてだったので、関西って全部こういうものだと思っちゃった。「関西いや!」って思って、ホームシックになりましたね・・・。
たまたまそれは大阪だったんですけども、大阪がこうなんやったら、じゃあ神戸にするわと思って、神戸はまだソフトなんちゃう?みたいな感じで、神戸に住むようになりました。
松本:
そういう経緯やったんですか。でも、実際そうやと思います(笑)。
石下:
仕事自体も、集中して仕事をして、さっと帰る仕事をしたかった。
でもそこは、終電までいなくちゃいけない職場だったんですよ。誰々が帰らないから帰れない。「もう終わったんで帰っていいですか?」って言っても、「じゃあ誰々の仕事残ってるからお前やれ」みたいな。
松本:
むちゃくちゃですね。
石下:
とにかく、絶対に23時までは帰れなかった。
── 翌朝は7時半に来なくちゃならないんですよね?
石下:
しかもその当時ね、なぜか姫路に住んでたんですよ。
── 姫路!?
松本:
めっちゃ遠い(笑)。
石下:
朝の、5時50分の新快速に乗らないと間に合わないんですよ(笑)。
── 帰るのは終電ですよね・・・。
石下:
帰るのが、だいたい家に着くのが夜中の12時半か1時。睡眠時間はホントに3、4時間しかとれなかったです。で、土日も出てこいみたいな。
松本:
ええ? 意味がわからない・・・。
石下:
2ヶ月耐えたけど、心折れて、辞めました(笑)。
松本:
よく2ヶ月頑張りましたね。
いくつかの会社で経理の仕事を行い、独立することに
石下:
で、辞めて、そのあとも経理の仕事をしました。
それは自動車関連の学校職員なんですけど、学校経営、学校の経理、予算組みとかですね。そんな仕事を、そのあと6、7年くらいやりました。
これがすごくいい職場で、毎日定時で帰れてしまう。しかも、土日祝日ほぼ全部休み。ゴールデンウイークと夏休みと、年末年始は全部10連休。
むちゃくちゃホワイトですごくいい職場だったんですけど、なんかね、ヒマ疲れしてしまったんです。15時ぐらいになるとやることなくなるんですよ(笑)。
── ひとつ前の会社とのギャップがすごいですね。
石下:
そうなんです。ただあまりにもヒマなので、死ぬまでじゃないけど、定年まで僕はここにいていいのだろうかと悩むようになって、また転職しました。
最後は、アパレルの会社で、洋服の原価計算や子会社2社の資金管理や経理・税務などの仕事をしていました。
── それは経理の仕事の一部なんですか?
石下:
ですね。でも、経理部とは違ってて、どちらかというと経営管理、さっきのビフォーアフターで言うとアフターしかやらないみたいな感じです。
今の仕事で一番活きてるのは、もしかしたらこの会社で学んだことです。洋服の費用の計算や、出てきた数字に対して分析するであるとか、そういうことをやりました。
そのあと子どもが産まれて、育休を取得することになって、ノマド的節約術に出会って、独立したんです。
松本:
そういう経緯だったんですね。面白い人生だなあ。
石下:
ははは(笑)。本当に、波乱万丈でした。
編集後記:対談取材を終えて
財務経理コンサルタントとして様々な業種の方と日々経理についてやりとりをしている石下さん。
取材を行う前は正直な話、経理や財務のお仕事は数字に細かいお仕事なので、緻密に計画立てられた人生なのかな?と勝手に想像していました。
石下さんはむしろその逆で、軽いフットワークを活かし、時に関東から関西へと引越しをしたり、時に家族のために自身の仕事をつくったりしながら、力強く生きている方でした。
とてもフランクに、楽しかったとき、辛かったとき、そのどちらもお話をうかがうことができたのは、石下さんの器の大きさの証だと思います。
生きていく中で、何か大変なことが起きたとしても、柔軟に対応し、前を向いて進んでいきたいと思わされた取材でした。