夫が独立してフリーランスになりたいと宣言!そのとき妻が思ったこととその後の心境の変化

こんにちは!
ノマド的節約術の松本です。

2011年からフリーランスになって、今もフリーランスを続けることができていますが、その裏側ではうまくいったりいかなかったりというのをひたすら繰り返しています。

フリーランスになる前も、家族がいる状態でしたので、そのときの家族の反応はどうだったのかって、意外と気になるところですよね。

そこで、実際のところどうだったのかを妻に聞いてみましたので、当時のことを思い出してもらいつつ文章を書いてもらいました。

ここからは、妻が書いた文章になります。
(見出しや語尾は編集していますが、基本的には原文ママです)

夫が独立してフリーランスになりたいと宣言!そのとき妻が思ったこととその後の心境の変化

仕事を辞めて独立すると聞かされた時の妻の心境

「会社を辞めたい」と告げられる

夫から会社を辞めることを聞かされたのは、6年前の2011年3月頃だったと思います。
当時、私はお腹に長男がいて、妊娠8ヶ月目でした。

その年の1月から、注文住宅を建てるために土地や工務店を探し始めていました。
運良く自分たちの希望に合う土地や工務店、建築士さんとの出会いがあり、さぁ、これから家を建てよう、というところでした。

結婚してちょうど1年経ち、もうすぐ初めての子どもが産まれ、新しい家も建つ、新生活に期待と不安が入り混じっていた頃、夫から固い決意が告げられました。

会社、辞めるわ。

前々から、いつか会社を辞めるかもしれない、自分がずっとこの会社で働き続けることが想像できない、という話は聞いていました。

当時夫が勤めていた会社は、しょっちゅう勤務先の移動があって、慣れてきた頃に別の場所に移動になったり、通勤時間がものすごくかかったり、さらには東京へ転勤の話しも出たりと、仕事が全くわからない私でも、ずっとこの会社で働き続けることへの不安は感じていました。

その日が、まさかこんなに早く来るなんて思ってもなく・・・
とっさに、それはちょっと困る、と思いました。

夫が軽い気持ちで言っているのではないことはわかりました。
慎重派で思慮深い夫の性格はよく分かっていたからです。
悩んで、悩んで、出した決断だと思いました。

それでも私は受け入れることができませんでした。
頭をよぎるのは現実的な問題、これからの仕事、収入はどうなるのか、辞めてからどのようにやっていくつもりなのか。

私は夫を責めるばかりでした。
もうすぐ子どもが産まれるのに。
家を建てるのに、借金もあるのに。

何を考えているのだろう。
こんな時に不安にさせないでほしい。

「はぁ?
今の状況わかってるん?
借金して高い家買って?
出産控えた嫁に心配かけて?
何考えてるん、ほんま。
意味がわからん!
その神経、全く理解できん!!」

何様のつもりでしょうか。今振り返るとお恥ずかしい限りです。

「もっと頑張ってほしい」と伝えた

夫の告知に対して、心の動揺は隠せません。
何とか気持ちを切り替えてもらおうと必死でした。

当時、通勤時間が長く、夜は遅く帰宅し朝はとても早いという生活で辛そうでした。
上司と考え方が合わなくて精神的に苦しい、という話も聞いていましたし。

なのに私は、全く夫の気持ちに寄り添わず、むしろ夫を追い詰めていました。

「世の中にはもっと苦しい人がおんねんで?
働きたくても病気で働けん人もおるんやで?
そう考えたら、恵まれてるほうなんちゃうん?
もっと頑張ったら!?」

自分が働きもしないくせに、わかったような口をきいて、どれだけ偉そうなのか。
夫の苦労も気持ちも全く考えない、酷すぎる妻でした。

夫に求めることばかりだった

どれだけ自分の気持ちを伝えても、夫の決意は変わることなく、夫の気持ちは絶対に揺るがないものなんだと、はっきりと分かりました。

夫が会社を辞めるという現実は避けられないと分かり、目の前に不安が押し寄せてきました。

仕事はどうするのだろう?
どうやって生計を立てていくのだろう?

とにかく自分の不安を取り除きたいばかりに、夫の考えを聞かせてほしいと頼みました。

夫は考えていることを説明してくれました。
まずは生活費を切り詰めて、収入が減っても困らないような状態を作ること。

一つの仕事に頼らず、柱を何本か持つこと。
会社に依存せず、生計を立てられるようにすること。
労働収入だけではない方法でも生活できる仕組みを作ること。

サイト運営でも生計を立てられたら、という話もしていました。

当時の私には、夫の言っていることがほとんど理解できませんでした。
たぶん理解しようともしてなかったんです。

「はぁ?
そんなん一体どうやって実現させるん?
夢見るんもいい加減にしたら!!」

夫を責めるばかりでした。

「具体的にどうするん!?」
「何年後にどうなってるん!?」
「もしうまくいかんかったら?そん時はどうするつもりなん!?」

不安を煽るような言葉を投げかけ続けました。

私の攻撃は一向に治まらず、返答に困った夫から最後には、
まだ考えがまとまってないから、うまく話されへん…。わからへん…。
と返ってきました。

この先何と言ったのか全く覚えていないのですが、想像を絶する剣幕と言葉で100倍ぐらい攻撃したと思います。

子どもが産まれてからも、
「そろそろ真剣に仕事探したら?」
「ほんまに大丈夫なん?」
と、ずっと夫を責め続けていたそうです。

この話は自分ではあまり覚えていなくて、夫から聞きました。
そんなこと言ってたかな?と、ほとんど思い出せません。

もともとの性格の上に、初めての育児に追われて余裕もなく、たぶん相当きつい口調で責めていたのではないかと思います。

ただ一つ覚えているのは、怯えた夫が布団を頭からかぶってしばらく出てこなかったことです。

夫には本当に申し訳なかったです。
この時のことは、心を傷つけてしまったことは、どれだけお詫びしても足りないと思います。

こんな酷い妻に、愚痴一つ言わずにずっと側で支えてくれた夫に、今はただただ感謝しかありません。

自分の気持ちに変化が起こる

子どもが産まれてから半年ほど経って、新しく建てた家に引っ越す日が近づくにつれて、これからは自分たちでやっていかなければならないんだ、という現実に直面しました。

家が建つまでは、家賃の節約も考えて私の実家で生活させてもらっていたので、何もかも親に甘えっぱなしでした。

いい歳して自分はまだまだ子どもで、考えも甘くて、全部親や夫に頼って生きていたように思います。

でも、もう親を頼っていてはいけない、夫に頼りっぱなしで負担をかけてはいけない、自分も夫を支えられるようにならないといけない、と思うようになってきました。

新しく建つ家の名前を「ありがとうの家」と決めていたので、住んでいる自分達だけじゃなくて、たくさんの人に「ありがとう」と思ってもらえる空間にしたい、と自分のやるべきことを真剣に考えるようになりました。

今まではずっと誰かを頼って、受け身で生きてきて、愚痴や不満ばかりの人生でした。

家が建つこと、今までとは違う新しい生活が始まることで、自分達の生活を自分達で作っていきたい、作っていかなければ、という前向きな気持ちが湧いてきました。

どうやって支えていけばいいのか考えた

会社勤めせずに、サイト運営で生計を立てたい。
自分の力で、どこまでいけるか試したい。

色々話を聞くうちに、夫の一番の思いはそこにあるとわかりました。

2011年12月に新しく建った家に移ってからは、どうやって支えていけばいいのか、自分の役割は何なのか、自分は何をすべきなのか考えていました。

何か困った時に繋がりが持てるように、人のつながりを増やす。
そのために、家を開放してイベントをする。
自分も外にでて、イベントに参加し人脈を広げる。

自分が動くことで夫の仕事に何か力になれたら、とずっと思ってました。

夫の凄さに気付いた

2011年6月に長男が産まれ、2011年の年末に新しい家に引っ越し、2012年は1年間、家のイベント、外国人の受け入れなどに精力的に取り組んできました。

その頃夫は、ブログとは別の新しい仕事が軌道に乗り、生活には全く困らない程になっていました。

生活にある程度の余裕が出てきたところで、夫はずっとやりたかったブログ・サイト運営を本気で進めていく決心をされたようです。

本気で取り組み初めて半年ほど経った2013年の10月頃には、ブログだけで生活できるようになりました。

会社を辞める時に一番やりたかったことが、2年ほどで実現しました。

夫がどんな時でも諦めず、真面目にコツコツと、努力して、信頼を積み上げられてきた結果です。

自分のやるべきこと

1年後の2014年8月には、会社を立ち上げるまでになりました。
前年の年末に2人目の妊娠がわかり、2014年9月に長女を出産しました。

2人目の妊娠から、つわりで体調が良くなかったこともあり、家のイベントや外国人の受け入れを控えるようになりました。

その頃、夫はどんどん活躍の幅を広げて、外でイベントを開催したり、講師としてイベントに招待されるように。

今まで、自分の役割は何だろうと悩みながら手探りで進んできました。

自分も何か仕事をしないと、とずっと思っていました。

でも、夫の仕事がどれだけの人に喜ばれているか、どれほど社会に貢献しているかわかってからは、夫が仕事に専念できる環境を作ることが、自分が仕事をするよりも、たくさんの人が幸せになることに気付きました。

それからは、夫が気持ちよく仕事できるようにするには、自分は何をすればいいのか、と考えるようになりました。

私は家事が苦手で、料理も下手で掃除も苦手で、ずぼらで横着で要領もめちゃくちゃ悪くて、すぐに家事から逃げることを考えてしまうのですが、これではいけないと思いました。

あまりにも出来が悪いので、せめて普通の人のレベルになれるように努力しようと思いました。

そう決心してから何年も経った今でも、家事も育児も思うようにできず落ちこんでばかりです。

もっとできるようになりたい、一歩ずつでも成長したい、と思いながら日々暮らしています。

妻の文章を見ての感想

妻が書いた文章はここまでになります。
関西人だからか、ところどころ話をおもしろおかしくしようとしているところや、大げさに褒められているところもあるのですが、こうやって気持ちの変化があったんだな、と改めて実感させられました。

今の自分が自由に動き回れているのは、自分がやってきたことだけではなく、妻の協力や支えがあったからなのは間違いありません。

いろんな人に話を聞いていると、夫婦関係がなかなか大変ということも多いのですが、そういうことを考えても運が良かったと思えますね。

もちろん、この間でコミュニケーションをしっかり取り続けていたからこその今だとも思いますので、とにかく深い部分でのコミュニケーションを積み重ねていくことが大切だと思います。

ちなみに今回の記事、「フリーランスになったのに仕事がない! 生き残るためにやったこと – ココッチィ」の記事を公開される前に事前確認でのやり取りで、奥さん側の気持ちを知りたいという話から生まれたアイデアです。

貴重なご意見、ありがとうございました!

ノマド的節約術の裏話

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この記事を書いた人

このサイト「ノマド的節約術」の運営者。節約アドバイザー・クレジットカードアドバイザー。会社を辞めて子どもが産まれるタイミングで家を買いました。収入ゼロから始まった節約生活の日々で身に付けたお金の知識を紹介しています。そもそも論から考えるミニマリスト的な節約術、クレジットカード、ポイントやマイル、株主優待、投資信託、移動を安くする方法に詳しいです。

松本 博樹のプロフィール