こんにちは、フリーライターの石川優太です。
ひょんとしたことがきっかけとなり、ノマド的節約術で記事を書くことになりました。
簡単に自己紹介させていただくと、僕は2016年5月時点で21歳のフリーランスです。
今の時代、新卒フリーランスという選択肢もある中、僕は中退フリーランスとなってしまいますね。
僕は大学を中退し、起業した19歳の頃から約2年間、毎日「お金」というものに苦しめられたくさん辛い思いをしました。
ではどうして、そんな険しい道を選んだのか。
これまでの経験で学んだことも含め、改めて振り返っていきますね。
「フリーランス」という働き方への出会い
高校を卒業するまでの毎日は平凡で、ありきたりな人生でした。通えそうな学校を選び、サボることばかり考えていた学生時代。
特に夢もなく、将来はいわゆる「普通の人生」を歩むつもりで日々過ごしていました。
21歳の僕はいわゆる「ゆとり世代」と呼ばれる世代です。社会や法律に恵まれた環境でぬくぬくと育ってきました。
同時に不景気と共存しながら、持ち前のなんとかなる精神で将来の話を濁し続けている世代でもあります。
独立に踏み切ったのは19歳の春でした。
大学に進学し、「かっこいいから」という理由で始めたカフェのアルバイト。
そこで、Webデザイナーのお客さんと出会ったことがすべてのきっかけとなります。
世間知らずの僕は、昼夜問わずカフェで仕事する姿を目にし、単純に「この人はどうやってお金を稼いでいるのだろう?」という疑問を抱きました。
それまで、仕事は就職して出社することでお金を得られるものだと思い込んでたんですよね。
ある日、思い切って「お仕事はなにをされているんですか?」と聞きました。
すると彼は「フリーランスをやっています」と即一言。
そのとき僕は、新たな働き方を知ることになるのです。
それから毎日、バイトの休憩時間を利用してHTMLやCSSの基礎知識、PhotoshopやIllustratorの基本操作を学びました。
さらに半年が経つ頃、「僕も彼のようになりたい」という憧れのみを胸に、税務署でA4用紙に捺印し、起業しました。
しかし、Webデザイナーとしてご飯を食べていくにはあまりにもスキル不足だったこともあり、友人と一緒にアパレルブランドを立ち上げたのです。
もちろん実績も経歴もなかった僕には取引先もおらず、これといった仕事もありません。
70万ちょっとの貯金をすべて開業費・資材費・広告費にあて、一丁前にコワーキングスペースを契約し、よく分からない日本語で営業メールを打つ日々。
周囲の大人たちは「起業」というワードを耳にし、「若いのにすごい」「頑張ってね」と言ってくれ、鼻を高くしていました。
地獄を見たのはそれからでした。
経営がうまくいかず、100万円の借金を作ってしまった
“仕事をやってる風”を続けることは難しく、独立2ヶ月目からはアルバイト三昧です。
それまでの期間に形成されたムダなプライドのせいか、無利益な取引を避け、遂に借金をつくることになります。
その金額、100万円。
借金とはいえ、一時的にはお金が入ってきます。
この金額を手にしたことによる幸福感は、今でも忘れません。
お金があればなんでもできる
一時的な安心感から生じる生活は、自分自身を偽り、本来の自分とかけ離れた人格を形成してしまいます。
19歳フリーランスのプライドは、風船のように大きく膨らんでいました。
「上京」という博打で出会ったライター業
それからさらに2ヶ月が経過したときのこと。
「一緒に頑張ろう」と息巻いて起業した友人と連絡が取れなくなります。
そのとき既に、経費と利益が明らかに反比例した状態が続いており、通帳の残高は1桁。
そこで初めて感じる絶望、不安、恐怖、孤独。
「経営ごっこ」を続ける余裕がないまま事業は破綻。
かすかな望みを賭けて、上京しました。
しかし、環境を変えたからといって仕事があるわけではありません。
できることを探し続け、日払い制のアルバイトでなんとか食いつなぎながら営業活動を行いました。
今まで当たり前のようにやってきた”明日”を生きるために、必死にもがく日々。
そのとき初めて、これまで蓄積された中身のない人格がボロボロと音を立てて崩れていたのです。
しかし、なんとかいただけた仕事も焦燥感から抱え込みすぎて納期を落とし、信頼を失うこともありました。
フリーランスの仕事は時間制ではないので、どれだけ必死になっても「ダメ」と言われればそれまで。
報酬も0円です。
たくさんの人に迷惑をかけ、自分の生活もままならないとき、Twitterでたまたま見かけたのが「WEBライター募集」のツイートでした。
いちかばちか、見掛け倒しのプロフィールを送れたことが功を奏し、再びチャンスを手にすることができたのです。
とにかく1,000円でも多く稼ごうとする気持ちから、記事単価数百円のライター業にも本腰を入れようと決意します。
ちなみに、当時の月収は8万円ほどでした。
どん底から生まれた「今」
↑住所がなく、毎日銭湯に通っていた時期の自分↑
当時は家賃を払いきれずにアパートを追い出され、漫画喫茶やアパートの非常階段に寝泊まりする時期もありました。
夜通し働いて稼いだ数千円の給料を生活費にあて、食事は1日1食。100円の食パンを水道水で流し込む毎日。
「お金による幸福感」を感じたあとだからこそ、お金のない生活は苦しく、辛く、精神的にも追い込まれるものです。
余計なことを考えないために、とにかくがむしゃらに働き、100円でも多く稼ごうと意気込んでいました。
それから1ヶ月。
ようやく振り込まれた給料を元手に、賃貸物件を契約。
それから少しずつ気持ちにも余裕ができ、明日のことだけを考える生活を乗り越えることができました。
上京してまだ1年経たずですが、こうした過酷な経験ができたからこそ、ストイックに仕事に取り組むことができています。
「目の前の仕事に一生懸命に取り組み、必要とされる以上の成果物を納品すること」
「自分のためではなく、誰かの『満足感』のために働くこと」
これは、過去の失敗から見出すことができたモットーでもあります。
その先に、「今まで見ることができなかったお金」が見え隠れしているのでした。
現在は学歴や才能に左右されることなく、さまざまなお仕事を任せていただけています。
おかげで、二度目の春を迎える頃には借金の返済を終え、毎日3食のご飯を食べられるようになりました。
もう絶対に、”あの日々”には戻りたくない。
今でも強くそう思います。
さいごに
社会に出ると、学歴や年齢なんて関係なく、仕事ができる人が無条件に採用されていきます。
これは「21歳」がだした結論ではなく、「社会人」としてだした結論です。
さらにこの記事を通して伝えたいのは、「当たり前のようにやってくる明日は、実は大変な苦労によって得られるものだ」ということ。
そして、その明日を支える要因となるのは「お金」なのです。
どん底時代に僕が気付けなかったのは、お金の価値、大切さ。
それは、自分以外の誰かのために働くことで生まれるモノ(価値)が、お金という対価になっているのでした。
いま思えば、本当に良い経験ができたと思います。